2014-2015年の年末年始は映画を観て過ごした。
こういうときではないと映画をまとめて観るなんて贅沢はできない。
ようやく映画『ハリー・ポッター』全八作品を観ることができて、今更ながら感無量である。
魔法学校から卒業したくない気分だ。
「魔法学校に入りなさい」
9月1日時点で素質を示した11歳の子供だけに魔法学校から通知が届く。
この仕掛けは、まさしく“求道者の星まわり”そのものなので、原作者のJ.K.ローリングはただ者ではないと思っていたのである。
そんなJ.K.ローリング女史の経歴をたどってみるとこんな感じだった。
25歳のときに『ハリー・ポッター』のアイデアを着想。
5年間の草稿を経て30歳のときに第一巻『賢者の石』完成。
42歳の最終巻『死の秘宝』完成まで約17年間の大仕事をやり遂げた。
25歳で開花した才能が42歳まで加速していったというのは極めて希少なケースで、普通、早熟の才能は35歳でピークを迎え、大抵は38歳位で打ち止めになってしまう。
古くは能の世阿弥がそうだったらしい。
世阿弥の戯言
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「上がるは三十四五までのころ、下がるは四十以来なり」
「もし、この時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふほどなくば、いかなる上手なりとも、いまだ真の花を究めぬしてと知るべし。もし究めずば、四十より能は下るべし」
「五十ちかくまで失せざらむ花を持ちたるしてならば、四十以前に天下の名望を得つべし」
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(世阿弥『風姿花伝』)
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要するに、34、5歳位までが花だから、それまでに天下に認められなければ、才能は40歳以降から下降線をたどるばかりで、もはや浮かぶ見込みはない。
50歳になったら「過去の名声に寄りかかれ」とまで世阿弥は言い切るのだ。
余計なお世話である。
一方で、J.K.ローリングは35歳以降から執筆のペースを遅め、己れの自我と向き合いながら、42歳で全7巻を完結させている。
どうやら、己れの自我との対決を『ハリー・ポッター』という作品を通して描いていたみたいなのだ。
しかも、たぶん…だけど、それをあまり意識しないで書いているはずである。
ハリー・ポッター君
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魔法学校に通う主人公。
修行者の象徴。
最終的に宿敵ヴォルデモート卿(自我の象徴)自身に自分の中にいる宿敵の分霊(自我)を殺させることで死を乗り越える。
ゆえに最終巻は『死の秘宝』というタイトルなのだ。
これは、もはや禅の公案であり、ファンタジーの域を越えている。
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アルバス・ダンブルドア先生
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主人公が通う魔法学校の校長先生。
正師(グル)の象徴。
主人公・ポッターが死を乗り越える場面で、道の最後に出会う存在・内なる師(サットグル)としても描かれる。
山小屋のオヤジじゃないよ。
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ヴォルデモート卿
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主人公の宿敵。
自我の象徴。
最初は実体を持たないが、次第に実体をあらわし、主人公の記憶を操って苦しめる。
十牛図の牛のようなやつ。
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図:布施仁悟(著作権フリー)
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『ハリー・ポッター』の主要な登場人物は、弟子と正師と自我で構成されていて、J.K.ローリング女史は、この作品を書くことで精神的成長を遂げていたものとおもわれる。
そのため、この物語を読んだり観たりする人は、J.K.ローリングの精神的成長を疑似体験することができるのだ。
ある小説家は「登場人物が勝手に動き出す」と表現しているのだけれど、作家が登場人物を自由に走らせたとき、物語は思いがけず優れた公案となり、そこに蔵された深遠な意味を感じ取る能力を持つ人の心に訴える。
『ハリー・ポッター』最大の魔法は作品自体にかかっているのかもしれない。
(2015.01)
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