もう一人はサークルの後輩で人なつこい性格の人物だった。
人と距離をとって接するタイプのボクとは正反対の人種なのだけれど、どういうわけか気に入られて、毎晩ボクに電話をかけてくるかわいいやつだった。
競馬を教わったのは府中競馬場の近くに住んでいた彼からだ。
当時のボクは小心者で負けるのが怖かったから鉄板の馬券しか買えない。
そうして負ければクヨクヨと翌週のレースまで引きずってしまう。
一方で、そいつの買い方は豪放磊落(ごうほうらいらく)で、万馬券を何度か当てるのを目撃したし、負けてもケロリとしている。
後輩ながら「こいつは自分に無いものを持ってる」と一目置いていたのである。
でも、彼が25歳で結婚した頃に会って以来、それきり交際は途絶えた。
おそらく、あの時にかわした会話が原因である。
『まだ見ぬ書き手へ』
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救済の文学を志す天才作家は必読である。
もちろん、そんな人がいればの話ですけど…。
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一流企業に就職したのだけれど、つまらない、と彼は呟いた。
「このまま一生終えるのかと思うとうんざりしますよ」と彼。
「だったら、辞めちゃえば」とボクが言うと「でも…このまま勤め続ければ企業年金もしっかり貰えるし…」と言うので、率直な感想を漏らしてしまった。
「えっ?そんなもののために働いてるの」
彼の態度が急変したのはその瞬間だった。
「ボクには一千万円の貯金があるんです!」と彼は叫んだ。
「へえ、そりゃあ凄いね、オレにはそんなにはないなあ」と答えると、こう言われた。
「ほら、ボクの方が上じゃないですか」
そのときは、彼が何のことを言っているのかよくわからなかった。
もとよりボクは、自分がどう生きるべきか、とか、自分はどうあるべきか、などの絶対的な価値基盤を追究していたので、他人と比較する相対的価値基準で自分の座標を確認する性質はあまりなく、眼の前にいる彼がそういう人物だったのは青天の霹靂(せいてんのへきれき)だったのである。
ただ、ボクと彼との間に通じていた空間に突然シャッターが下りて、ガシャンと音がしたような気のしたことは確かだった。
この一件はトラウマになって、比較され値踏みされていたのかと思うと、後になって怒りがこみ上げてくることも、しばしばあった。
合点がいったのは、丸山健二の『まだ見ぬ書き手へ』を読んだときである。
あなたはそうでなくても、かれらはあなたと会うことを嫌うでしょう。
あなたが失敗したにせよ成功したにせよ、あなたをそう長いあいだ見ていたくないのです。
かれらはあなたを間近に見るたびに、己れの立場を再検討しなければならず、弁解の言葉をずらりと並べなくてはならないのですから。
(丸山健二『まだ見ぬ書き手へ』P.121<3 プロの書き手としてデビューするには>)
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誰もが心の奥底では求道者の生き方に憧れているけれど、それを実践する異常さの欠如のため、あるいは常識が勝っているため、社会規範の中で生き続け、現実の荒波にもまれて生きている。
丸山健二がそう指摘しているのを読んだとき、ボクの求道的生き様そのものが彼にとっては目障りだったのだと知った。
すでに会社を辞めて我が道を極めようとしていたボクを、“動物にたとえるなら自由な鳥みたいな人”と彼は形容した。
けれども、自由な求道者であろうとしたボクは、彼の存在基盤を根底から覆(くつがえ)しかねない存在でもあったのである。
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
旅を続ける人々は
いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
(中島みゆき『時代』より)
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ボクはひと足先に故郷の浄土に帰って彼の到着を待とうと思っている。
(2014.5)
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