HP『肴はとくにこだわらず』2015年11月リリースを完了しました。
2014年9月頃までの古いブログ記事を移植してあります。
今回はコレといった目玉はないんですけど、あえて挙げてみるなら30代後半のライフワークとして書き続けてきた『ちょっとはマシな坐禅作法』が“ひとまず完成”といえる段階に至ったということになるでしょうか。
その続編となる『かなりキワどい坐禅作法』という作品の着想を2014年10月に得ているのですが、とりあえず現在の時点でその序章が完成していまして、その記事の移植は次回のリリース作業でのお楽しみとすることにいたしましょう。
さて、夢の中で経典の巻物一式を贈られ「よくそこまで修行した。増上慢に気をつけよ」という授記を頂戴(ちょうだい)したのが、昨年の2014年8月20日。
それから目まぐるしい心境の変化があったのですけれども、どんな文献に当たってもロクな解説を見つけられませんでした。
そのため、かなり迷走してしまい、その迷走ぶりがそのままブログの記事になってしまっていたようです。
今回のリリースはちょうどその時期に書いていた記事を移植の対象としています。
当時は週に一回更新するというペースを守っていたにもかかわらず、その時期の記事には内容らしい内容がほとんどなくて、今回は目玉のない実に寂しいリリースとなってしまいました。
今回リリースした記事の大半を書いた2014年というのは、私が40歳のほとんどを過ごした時期です。
2014年8月20日の授記の夢をみてから後、新たに読むべき経典を物色しなければ乗り越えられなかったような運命の試練が立て続けにやってきたことを考えますと、40歳には最も重要なターニングポイントがあったような気がしています。
いろいろ迷走しましたけれども、そのおかげで、41歳も後半に入った現在では次の課題がはっきり見えてきました。
新たに物色した経典群の中には『般若心経』なんてものもありまして、それを解説した和尚の本の中に、私の次の課題が書かれていたんです。
サンニャースの意味1
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これは私の経験なのだが…
あなたがサンニャーシンになれるのは、もしサンニャースでなければ自殺しかないという地点まで来たときに限る。
サンニャースというのはこういう意味なのだ。
自分は生きている間にひとりの個人になるんだ!
自分は自分の生を自分なりに生きるんだ。
命令されたり支配されたりするのはごめんだ。
機械みたいに、ロボットみたいに機能するのはごめんだ。
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(和尚『般若心経』P.184「第4話Q&A―自殺考」)
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これは私の33歳の厄年における“ぷっつん体験”のテーマでした。
この覚悟を決めたときから私の置かれている環境自体が変わっていったのです。
そしておそらく、これが42歳の厄年に課せられている“ぷっつん体験”のテーマなのでしょう。
サンニャースの意味2
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自分はどんな理想も持たないし、どんな目標(ゴール)も持たないことにする。
自分は瞬間の中に生きるんだ。
自分は瞬間瞬間に応じて生きるんだ。
自分は内発的でいよう。
そして、自分はそれに一切を賭ける!
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(和尚『般若心経』P.184「第4話Q&A―自殺考」)
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考えてみますと、このたび完成しました『ちょっとはマシな坐禅作法』を書きあげる作業自体が「どんな理想も持たないし、どんな目標(ゴール)も持たない」という書き方といいますか生きざまの訓練になっていて、特に近ごろは事前に草稿を書いてもイマイチまとまらないため、ほとんど一発勝負の綱渡り状態で書くようになってきました。
そうしますと、ときに読者の方から「つまらない」とか「難しい」などの注文を受けることもありまして、それでも「ミューズがこう書けと言ってるんだ。私だって知ったこっちゃないのである」などという無責任な不安定を楽しむようになってきますと、いよいよ“ひとつの賭け”に出られるような気がしてくるわけであります。
そんなわけで、次回は来年。
42歳の厄年に課せられている“ぷっつん体験”を乗り越えられた頃にリリース作業をしたいと思っているのです。
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