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News(肴のお知らせ)

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肴はとくにこだわらずからの最新のお知らせです。


2020年2月閉鎖予定のお知らせ(2019-10-27)

 このホームページ『肴はとくにこだわらず』は、2020年2月の節分をもって閉鎖いたします。 いきなり閉鎖するのもどうかと思いまして、一応、告知しておくことにしました。

 最初の山を登りきったら、一度降りて、次の山を登りはじめる。

 どうやら45歳のミッドライフ・クライシスというのは、そういう時節になっているようです。 ほとんどの人がここで人生の意味を見失ってしまうんですけど、それは最初の山を登ろうとしなかったからなのに、それまでどおり、運命の現実からの逃避行動を繰り返してしまう。 そのため、この時節の事実があまり知られていないだけなのであります。 このサイトの読者には、そんな現実逃避をする人なんかいない、ということを前提に話をすすめましょう。


 成功を遂げた著名な人々を二万五〇〇〇人以上も分析した結果、次のことがわかった。 すなわち、四〇歳以前に成功した人はほとんどいないこと。 そして、ほとんどの成功者が五〇歳を過ぎてから自らのペースを把握していること、である。

(ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』-「第15章 強烈な本能を創造的なものに転換せよ」)


 このナポレオン・ヒル博士の研究どおり、45歳のミッドライフ・クライシスまでに人生の最初の山を登りきった人が自分のペースを確立するのは、50歳を過ぎてからのようです。 つまり、45歳までの最初の山を登りきる過程で、「やるべきことの続き」を思い出した人が、次に挑戦する山こそ人生の本当の目標になっているというわけですね。 この再挑戦は、ほとんどゼロからのスタートになってしまうので、やっぱり悩むし、決心が固まり、準備を整えるまでに時間がかかると思います。 そこで、ちょっと補足的な説明を加えておきましょう。


 私は十年間、編集者をやってきて、数多くの文化人、名士、タレントさん、学者さんなどなどに、取材という名目で会ってきた。 で、その経験を通して、とても不思議に思うことがあったのだ、それを私は「人生二九歳変動説」と呼んでいる。

 いろんな人の話を聞くと、かなりの確率で……というか、びっくりするような確率で、二九歳で人生の転機を迎える人が多いのである。 二九歳には何かある、とつねづね思ってきた。そういえば、ブッダが出家したのだって二九歳だった。

 この二九歳の転機というのは、その人の天職というものと非常に深く関わっている。 二九歳で、自分の価値観や、携わっている行為に対して疑問を持ち、そして疑問を解決すべく行動した人はその後、 三二歳の時に別の転機と遭遇するのだ。で、この三二歳の時の転機が、自分の天職を決めていく。 その後、三五歳、三八歳と順調に自分の人生の意味を見いだし、四二歳前後で迷いが出る。

 この四十歳代の迷いというのは、身体の変調という形で表出したり、 もしくは女性(あるいは男性)に恋をしてしまう……というような形で現れたり、 それまで全く興味のなかったものに狂ったように魅かれたりするのだが、 とにかく心と身体が動揺し、その経験によって、本当に自分が望んでいる生き方とはどんなものかを再確認し、 それが完了すると五十歳から「奉仕」というものを仕事の中心に据えて生き始めるようなのである。

『馬鹿な男ほど愛おしい』P.150-151


 この田口ランディさんの『人生二九歳変動説』にある「四十歳代の迷い」なんですけど、3つの条件があげられています。

 一、身体の変調が表出する
 二、女性(あるいは男性)に恋をしてしまう
 三、それまで全く興味のなかったものに狂ったように魅かれたりする

 このうち、二番目の条件はツインレイとの再会のお話で、三番目の条件は「やるべきことの続き」を思い出す過程のお話であることは、お分かりでしょう。 しかしながら、一番目については説明してこなかった条件なので、解説しておきます。

 私の場合、41歳8月に眉間のクタスタの結節が解放したのですが、不随意筋の解消にともなう肉体の変調がそこから始まりました。 このときに起こるのが「身体の変調の表出」です。 インド・ヨーガの文献に「頭部のチャクラから下降するアムリタ(甘露)を喉頭部のヴィシュダ・チャクラに降ろせなければ早死にする」なんて記述があるそうですが、それに相当するものです。 これにはチベット体操も真向法も特効薬になりません。

 この身体の変調は、はっきり言って、かなりキツいです。 歪んでいた肉体が治っていくのはいいんですけど、とにかく痛いし、同世代の他の人たちより早く老いていくように感じられます。 これが東洋医学でいう「瞑眩(めんげん)現象」で、江戸時代の日本にいたアホな医者のせいで、漢方薬による治療の一時的な悪化を指す言葉になってしまっていますけど、こっちが本来の「瞑眩」です。 これは旧約聖書の『ヨブ記』にある「善人の受難」とか「堅忍の試練」といった運命の課題のひとつで、おかげで色んなことを考えます。

 「いま私は彼らの歌となり、あざけりの的になった」
 (ヨブ30:9)
 「私は潔白で罪がなく、清くて咎がない。それでも神は私に攻めかかる」
 (ヨブ33:9-10)
 「私を裁くお方は残酷だ。私の身体は治らない。私は罪を犯してもいないのに」
 (ヨブ34:6)
 「神は私を見たまわぬ。彼の前に訴えてきたが、もう待ちくたびれた」
 (ヨブ35:14)
 「神は怒っても、誰にも罰を下さず、人が背くのにも気づかれぬ」
 (ヨブ35:15)

 『ヨブ記』というのは、神のお気に入りだったヨブが その信仰心を試される物語。 ヨブは愛する者を奪われ、財産を失い、疾病に冒されます。 最終的に、悪人がのさばっているのに、善人が憂き目を見るなんて、神は一体何をやっているんだ、という愚痴を吐くようになります。 たぶん、みなさんも、ヨブと同じような愚痴を尽きるまで吐き尽くすことでしょう。 ここで学ぶべきことは「神の裁きの公平性とはどういうことか」ということで、『ヨブ記』のエリフの言葉が、この運命の課題を解く鍵になると思います。

 「それは神が民と人に憐れみを下し、悪人を悲しみの網から救おうとされるからだ」
 (ヨブ34:29-30)
 「神は人の業によって報いを返し、おのおのの人をその道によって扱われる」
 (ヨブ34:11)
 「神は苦しむものをその苦しみによって救い、苦痛によって耳を開かれる」
 (ヨブ36:15)

 『ヨブ記』は、この運命の課題についての物語で、この試練の意味を理解して乗り越えたとき、ヨブが神に向かって語る言葉がこれです。

 「私は耳で聞いてあなたを知っていました。 だが今、私はこの目であなたを見ました。 そのために私は自分の愚かさにあきれ、ちりと灰の上で悔やみます」
 (ヨブ42:5-6)

 この運命の課題を解けなければ、不随意筋の解消にともなう肉体の変調は終わりません。 でも、この試練を乗り越えたときに何が起こるかは、『ヨブ記』にこう書かれています。

 「神はヨブのありさまを元のようにもどされた。 ヨブが友人のために祈ったからである。 そればかりか、ヨブの持っていたものを二倍にふやされた」
 (ヨブ42:10)

 そしてこれは、R・シュタイナーの説く「第三の風の試練-沈黙の誓い」のレッスンでもあります。


 この時点でさらに何を為すべきかはしばしば次のように表現される。

 「神秘修行者は神秘教義の秘密を決して他人に漏らさぬという誓いを立てねばならない」

 とはいえ「誓い」と「秘密を漏らす」という表現は事実に即しておらず、したがって誤解を招きやすい。 ここでいう「誓い」とは、通常の意味での誓いではない。 むしろこの進歩の段階に応じたひとつの経験をもつことを意味している。 人はどうしたら神秘教義を人類のために役立たせうるかを学ぶ。 今はじめて世界を正当に理解しはじめる。 高次の真理内容について「沈黙を守る」ことではなく、むしろその真理内容を主張する正しい仕方、ふさわしい態度を経験的に知ることが大切なのである。

R・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』P.104-105 霊界参入の三段階


 神の裁きの公平性がどのように働いているのかを知らなければ、真理内容を主張する正しい仕方、ふさわしい態度を経験的に知ることはできないというわけです。 ところが、釈迦をはじめ、歴代の禅師たちというのは、こういうことを何も語っていなかったんですね。 「あえて語らなかったのか、それとも、何も分かってないから語れないのか」というのが『かなりキワどい坐禅作法』を書いているあいだの重大テーマだったんですけど、魔羅和尚みたいなのがいてくれたおかげで、「彼らは何も分かってないから語れなかった」ということが判明しました。 この答えを導くための諸々の条件がすべてそろっていた私は、かなりツイていたと思います。 すべては天職を遂行するための運命の課題になっていたというわけです。

 「運命の前兆に必死に応えていけば諸々の条件はすべて添えて与えられる」

 それが私がこのサイトを運営しているあいだに学んだことでした。 『法華経』には「妙法蓮華経を解説して伝えようとする者は何があろうと必ず守護される」とあって、私はそれを信じたんです。 みなさんも自分の妙法蓮華経を探究する体験を恥ずかしがらずに書くといいですよ。 そうやって運命の前兆に必死に応えていくなら、私が体験したように、自分のために創造された妙法蓮華経が必ず見つかるから。 それが声聞道であり、縁覚道であり、菩薩道であるというのが、大乗経典の“諸経の王”―『法華経』の教えだと私は思います。 また、『法華経』には「妙法蓮華経はどんなに時代が移り変わろうといつでも説かれている」ともあるんです。 “聞く耳”を持つ人にはそれが必ず聞こえてくる―それが神の導きなんだと信じなくてはいけません。

 で、45歳のミッドライフ・クライシスの話に戻るんだけど、この時期、もっともつらいのは、最初の山を登る過程で出会った恩人や友人たちに「さよなら」を告げなければならないことかな。 きっと一人ひとりに手紙を書いて、「一緒に次の山を登りませんか?」と誘うと思うんだけど、たぶん、一人もついてこないでしょう。 たいていの人は口先だけで生きてるらしいので、そんなもんです。 山を降りるということは、そういうことでもあるので覚悟しておくといいと思います。

 以下は、井上陽水のアルバム『九段』の最後にある「長い坂の絵のフレーム」。 この歌に描かれている次の山の景色が見えてきたら、いよいよ「十段」に昇格―免許皆伝というわけです。 やっぱり、井上陽水はスゴイよね。

 この頃は友達に 手紙ばかりを書いている
 ありふれた想い出と 言葉ばかりを並べてる
 夢見がちな子供たちに 笑われても

 時々はデパートで 孤独な人のふりをして
 満ち足りた人々の 思い上がりを眺めてる
 昼下がりは 美術館で考えたり

 誰よりも幸せな人 訳もなく悲しみの人
 長い坂の絵のフレーム

 井上陽水『長い坂の絵のフレーム』(1998)

 さて、私の布施仁悟としての役目はここまでのようです。 これからはケンシロウとして次の山の頂きを目指そうと思います。 来年2月の節分がきたらブチっと閉鎖するので、よろしく。 それでは、ごきげんよう。

[長渕剛の出口の歌(入口の歌は東京から故郷に帰る『とんぼ』)]

 ひりひりと傷口に しみて眠れなかったよ
 泣きっ面にしょんべん ひっかけられた夜
 薄情な男だと 夜を一枚ひんめくりゃ
 ぐずぐずしてちゃいけねえと 照れずに思えた

 つまらぬこだわりは 身を縮めるだけだった
 ほんの一瞬でも お前を愛せてよかった
 枯れ果ててしまっても 温もりだけは残ったよ
 妙に悲しくて いさぎよくて 本当に気持ちよかったよ

 (長渕剛『しゃぼん玉』(1991)より)

 薄情な友だちやツインレイとの別れを乗り越えて、上等だとひらきなおったら、いよいよ「やるべきことの続き」を実行する覚悟が決まる。 友だちとのオトシマエのつけ方を知りたければ、長渕のアニキの歌を聴くといい。

 きしりきしりと 横っ腹が痛かった
 馬鹿っ面ぶら下げて 上等だとひらきなおった
 人生が少しだけ うるさくなってきたけど
 逃げ場所のない覚悟が 夢に変わった

 帰りたいけど帰れない もどりたいけどもどれない
 そう考えたら俺も 涙が出てきたよ
 くじけないで なげかないで うらまないで飛ばそうよ
 あの時 笑って作った しゃぼん玉のように

 淋々と泣きながら はじけてとんだけど
 もっと君は君で ありますように
 いったい俺たちは ノッペリとした都会の空に
 いくつのしゃぼん玉を 打ち上げるのだろう?

 (長渕剛『しゃぼん玉』(1991)より)

 45歳までの人生は「しゃぼん玉」みたいなものだったよ。

 [新サイトについて]
 目標としていた「漸悟の法灯」の教義が完成したので、新サイトでまとめることにしました。 この教義の完成に協力してくださった読者のみなさんには感謝していますが、33歳のぷっつん体験に失敗したり、42歳でツインレイとの再会に失敗する方たちの「心の弱さ」は、今となっては、どうにも手の施しようがないような気がします。 そんな星の運行の関係上、申し訳ありませんが、29歳以下の若者限定の内容になっています。 もしも年齢的に該当する方がいれば、どうぞ。

 サイト名『音楽について語るとき僕のいる場所』
 →http://nodirection.seesaa.net/

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2018最終リリース完了のお知らせ(2018-06-06)

 HP『肴はとくにこだわらず』2018最終リリースを完了しました。

 2008年から約10年間続いた更新もこれでオシマイです。 なかなか得難いキャラクターの読者たちにも恵まれた幸運なサイトでしたが、よんどころない事情により、これにて最終リリースといたします。

こんなことを書くとヘソで茶をわかされてしまいそうですけど、たぶん私は根がシャイなのだとおもうのです。 根がシャイだと、その反動で恥ずかしがりながら何でもやってしまうところがあって、それが特技といえば特技だったのかもしれません。 おかげで誰はばかることなく「自分は天才だ」と自称する私をいぶかしくおもう方もたくさんいらしたと思うのですが、これまでせっせと書いてきた記事を読み返してみますと、「やっぱり私は天才だった」と思わずにはいられないのであります。

思えば私は、相手が誰であろうと、ある種のことについては礼儀や手加減というものを知らないところがありまして、バカだと思えばバカだと言うし、くだらないと思えばくだらないと言ってしまう性格で、そもそもが天才ですから、いささか強引な論理でも押し通せてしまうため、口論になったら負けたことがありません。 その被害者の方々には慎んでお詫び申し上げます。 相手が悪かったとおもって夜な夜な枕でも殴っていてください。

そんな、とっくの昔に下々(しもじも)のモラリズムを忘れ、倫理や道徳をどこかに置き忘れてきた私が、これからフツーの社会人としてコペ転的更生をはかろうというのは、いまさらながら無謀ではないかとおもうのですが、そうするつもりです。 当然のことながら、他人の不幸を祈るような激励のメールや呪いのコメントをたくさん頂いてきましたが、どっこいめげずに頑張ります。 チャレンジ・イズ・マイ・ライフ。

このホームページは、しばらくの間は残しておくつもりですが、一度何かをやり遂げたらまったく興味を失なってしまう性格なので、いつ閉鎖するかわかりません。 もしも将来的に読み返す必要があると考える方がいらっしゃるなら、保存するなり、印刷するなり、勝手に出版するなりしていただければとおもいます。 私がここに書いた文章について著作権を主張するつもりはございませんので、ご自由にどうぞ。

私はいま、腕時計に目をやりながら、次の列車が駅に到着するのを待っているところです。 22歳のとき、乗車券が手に入らなかったために見送るしかなかった、あの列車です。 かつてと同じように、忌まわしいなごり雪がちらりほらりと降ってきました。 でも今回は違うのです。 今度の列車は私を乗せるためにやってくる列車なのですから。

あ、汽笛が聞こえてきました。それではこのへんで。

ポッポー!

[PRINCESSたちの44歳6月への時空飛ばし]

いくつも恋して 順序も覚えて
KISSも上手くなったけど
はじめて電話するときには いつも震える

プレゼントの山 埋もれもがいても
まだ死ぬわけにいかない
欲張りなのは生まれつき パーティーはこれから

耳で溶けて流れ込む 媚薬たちを閉じ込めろ
コインなんかじゃ売れない 愛をくれてもあげない
ベルトをしめて プロペラまわし
大地を蹴って とびあがるぞ

ダイヤモンドだね いくつかの場面
うまく言えないけれど 宝物だよ
あの時感じた 予感は本物
今 私を動かしてる そんな気持ち

(作詞:中山加奈子 作曲:奥居香『Diamonds』(1989)より)

耳で溶けて流れ込む媚薬たちを 歌のダイヤモンドに閉じ込めて あなたへ

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2018最終リリース作業のお知らせ(2018-02-19)

HP『肴はとくにこだわらず』2018最終リリースをはじめます。

一、電脳山養心寺『かなりキワどい坐禅作法』の最終章「心随観奥義」
  →境域の守護霊との遭遇と天職就任の真相について
二、電脳山養心寺『かなりキワどい坐禅作法』の付録「縁覚の経典」
  →1.「三祖―信心銘」の新訳
    2.「老子―道徳経」の新訳
    3.「呂厳―太乙金華宗旨」の新訳
三、電脳山養心寺『かなりキワどい坐禅作法』の「あとがき」

を書く予定です。 完了予定は2018年6月。 それまではさまざまな不具合の発生が予想されますので、あらかじめご了承ください。

昨年(2017)のちょうどこの2月の頃に、ようやく長かった神隠し現象を抜けまして、翌3月の43歳になった時点から境域の小守護霊というものに遭遇することになりました。 といっても幽霊みたいなものが現れて直接指導を受けたとか、そういうことではなくて、【坐禅作法120】洞山五位〜養心門11〜以降に書き残したようなことに気づいていったということです。 境域の小守護霊に遭遇する時節になると…
「自分がこれまでどのように導かれて来たのか」
「これから果たすべき自分の使命は何なのか」
というようなことを一年くらいかけて少しずつ学んでいくんですね。 で、その学習期間を終えると境域の大守護霊に遭遇して、いよいよ天職に呼ばれていく …というところがM・ベインの『解脱の真理』やR・シュタイナーの『いか超』に書かれていて、とくにR・シュタイナーはそこから先のことは文章にするべきではないと語っているので、僕もその言葉にしたがおうと思っているところです。

自分の天職について考えはじめたのは25年くらい前の大学生の頃なんだけど、その頃はどうやったら天職に就けるのかを詳しく分析した本なんかなくて(現在でもこのサイト以外にはないとおもうけど…)ずいぶん模索してきた。 でも、こうして天職に呼ばれるところまでくるとね。 いままで頑張ってきて本当に良かったとおもえるんだ。 だから僕はそれをみんなにも味わってもらいたいのさ。

それでは、そろそろ最終ラウンドのゴングを鳴らそうか。

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リリース2017.10完了のお知らせ(2017-10-30)

HP『肴はとくにこだわらず』2017年10月リリースを完了しました。 2015年11月から2017年8月までの古いブログ記事およびコメントを編集して移植してあります。

これでようやく電脳山養心寺のメインコンテンツ『坐禅作法』シリーズの全貌が明らかになってきました。

私はいま43歳。 42-43歳の二年間は44歳から俗世に帰還するための養生期間みたいになっているらしくて、とにかくめまぐるしい日々を過ごしています(精神的に)。 39-40歳の時節までに天性の義務を果たす勇気を集め切れなかった人は、40-42歳の大厄のあいだに引退の花道を敷かれて俗世に帰還できるみたいなんだけど、私の場合、39-40歳の時節でその先に志願しちゃったものだから、試練がいまだに続いてます。 当初は42歳までに俗世に帰還するつもりでいたのに、すっかり予定が狂ってしまいました。

43歳9月からは自我の<死>と<復活>が運命の試練のテーマになってるみたいなんだけど、そこで求められる心随観の過程を書き残したら『坐禅作法』シリーズも完成ということになるのかな。 ちょうどM・ベインの『解脱の真理』シリーズが「自我の<死>と<復活>を遂げて俗世に帰還する」という43歳9月からの七ヶ月間のお話になってまして、ようやく私もM・ベインが『解脱の真理』シリーズで伝えようとしていることの意味がはっきり分かるレベルまできました。 いよいよ布施仁悟流・心随観奥義を極めるときがやってきたようです。

最初に『解脱の真理』を手にした33歳のときは、その内容を自分が実際に体験して解説する時が来るとは思わなかったんだけど、今月に入ってから構想のインスピレーションがやって来るようになりました。 でも、まだそれを書き始めるだけの条件が揃ってなくて…来年の3月あたりのリリース作業で、なんとか書きあげたいと考えているところです。

2018年3月…布施仁悟は真っ白な灰になって燃え尽きる

なんつって…それでは半年後に。

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リリース2016.11完了のお知らせ(2016-12-01)

HP『肴はとくにこだわらず』2016年11月リリースを完了しました。 2014年10月から2015年11月までの古いブログ記事およびコメントを編集して移植してあります。

今回編集した記事を書いたのは坐禅修行にともなう精神分裂症の問題に取り組みはじめた時期でした。

ボクはお世辞や謙遜みたいなものが苦手な性格に生まれついてしまったんだけど、そういうものは一般社会における潤滑油のような役割を持っていたりするので、とにかく生きづらくて仕方がなかった。 でも、そういうものは人格を抑圧してしまう原因ともなっていて、精神分裂症を発症する人たちというのは、まあ、お世辞や謙遜が得意な人たちだったりするようです。 いわゆる“嘘つき”ってやつ。 ボクなんかは、そういうのが平気な人種の存在自体を信じられないから、コメント欄なんかを読み返していると、かなりの確率でダマされちゃってるみたいだってわかってきた。 なんか悔しい、というか、悲しいよね。

でも、おかげでだいぶ免疫ついたかな。

で、坐禅修行にともなう精神分裂症患者の存在が発覚してきたのは2014年に入ってからなんだけど、彼らはどうやらまともに文章を読めないらしいのね。

「一体どこをどう読んだら、そういう解釈が成り立つのかね、君?」

というようなことを平然と書いてくる。 文字や言葉に託された意図を汲み取ることができないのね。 それが、いわゆる“コミュニケーション障害”というものらしい。 最初はそんな人がいるなんてとても信じられなかったから、ずいぶん当惑したものです。

そもそも坐禅修行というのは自我の最も嫌がることをしなければいけませんから、何か問題を抱えている相手に対しても、それをはっきり指摘してしまうと口論の火種になりかねないわけで、そこは婉曲な表現でやんわりと伝えたことをうまく汲み取って欲しいとおもうんです。 でも「ここまで言っておけばそのうち気づくだろう」という理屈がまったく通用しないのね。 オツム逝っちゃってるから。

そんなこともあって今回リリースした記事を書いた辺りから、人の抱えている自我の問題点をはっきり指摘するようになってきてるみたい。 おかげでかなりキワどい内容になってきてしまって、編集していて以前のような牧歌的な記事がだんだん懐かしくなってきてしまいました。

なんか…坐禅に興味持つ人たちって人生なめてるやつ多すぎじゃない?

坐るまえに、まず、まっすぐ生きることからはじめましょうよ。コミュニケーションから―人間関係の学びから逃げてはいけません。

そんなこんなで、次回リリースは来年。 死んでなければボクは40-42歳の大厄を抜けて43歳になってます。 どうなってることやら…。

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リリース2015.11完了のお知らせ(2015.11.20)

HP『肴はとくにこだわらず』2015年11月リリースを完了しました。 2014年9月頃までの古いブログ記事を移植してあります。

今回はコレといった目玉はないんですけど、あえて挙げてみるなら30代後半のライフワークとして書き続けてきた『ちょっとはマシな坐禅作法』が“ひとまず完成”といえる段階に至ったということになるでしょうか。 その続編となる『かなりキワどい坐禅作法』という作品の着想を2014年10月に得ているのですが、とりあえず現在の時点でその序章が完成していまして、その記事の移植は次回のリリース作業でのお楽しみとすることにいたしましょう。

さて、夢の中で経典の巻物一式を贈られ「よくそこまで修行した。増上慢に気をつけよ」という授記を頂戴(ちょうだい)したのが、昨年の2014年8月20日。 それから目まぐるしい心境の変化があったのですけれども、どんな文献に当たってもロクな解説を見つけられませんでした。 そのため、かなり迷走してしまい、その迷走ぶりがそのままブログの記事になってしまっていたようです。 今回のリリースはちょうどその時期に書いていた記事を移植の対象としています。 当時は週に一回更新するというペースを守っていたにもかかわらず、その時期の記事には内容らしい内容がほとんどなくて、今回は目玉のない実に寂しいリリースとなってしまいました。

今回リリースした記事の大半を書いた2014年というのは、私が40歳のほとんどを過ごした時期です。 2014年8月20日の授記の夢をみてから後、新たに読むべき経典を物色しなければ乗り越えられなかったような運命の試練が立て続けにやってきたことを考えますと、40歳には最も重要なターニングポイントがあったような気がしています。 いろいろ迷走しましたけれども、そのおかげで、41歳も後半に入った現在では次の課題がはっきり見えてきました。

新たに物色した経典群の中には『般若心経』なんてものもありまして、それを解説した和尚の本の中に、私の次の課題が書かれていたんです。

サンニャースの意味1

これは私の経験なのだが…

あなたがサンニャーシンになれるのは、もしサンニャースでなければ自殺しかないという地点まで来たときに限る。

サンニャースというのはこういう意味なのだ。

自分は生きている間にひとりの個人になるんだ! 自分は自分の生を自分なりに生きるんだ。 命令されたり支配されたりするのはごめんだ。 機械みたいに、ロボットみたいに機能するのはごめんだ。

(和尚『般若心経』P.184「第4話Q&A―自殺考」)


これは私の33歳の厄年における“ぷっつん体験”のテーマでした。 この覚悟を決めたときから私の置かれている環境自体が変わっていったのです。

そしておそらく、これが42歳の厄年に課せられている“ぷっつん体験”のテーマなのでしょう。

サンニャースの意味2

自分はどんな理想も持たないし、どんな目標(ゴール)も持たないことにする。 自分は瞬間の中に生きるんだ。 自分は瞬間瞬間に応じて生きるんだ。 自分は内発的でいよう。

そして、自分はそれに一切を賭ける!

(和尚『般若心経』P.184「第4話Q&A―自殺考」)


考えてみますと、このたび完成しました『ちょっとはマシな坐禅作法』を書きあげる作業自体が「どんな理想も持たないし、どんな目標(ゴール)も持たない」という書き方といいますか生きざまの訓練になっていて、特に近ごろは事前に草稿を書いてもイマイチまとまらないため、ほとんど一発勝負の綱渡り状態で書くようになってきました。

そうしますと、ときに読者の方から「つまらない」とか「難しい」などの注文を受けることもありまして、それでも「ミューズがこう書けと言ってるんだ。私だって知ったこっちゃないのである」などという無責任な不安定を楽しむようになってきますと、いよいよ“ひとつの賭け”に出られるような気がしてくるわけであります。

そんなわけで、次回は来年。 42歳の厄年に課せられている“ぷっつん体験”を乗り越えられた頃にリリース作業をしたいと思っているのです。

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リリース2014.7完了のお知らせ(14-07-10)

HP『肴はとくにこだわらず』2014年7月リリースを完了しました。

以前のリリース2013年5月頃までの古いブログ記事を移植してあります。

…『只管打坐』『身心脱落』を達成するまで更新はいたしません。

などと書いておきながら、あっさり前言を撤回して半年ちょっとでブログの更新を始めてしまったのは、成りゆきまかせの出たとこ勝負の人生観まる出しで、なんだかカッコ悪い。

けれども、前回リリースの頃に「あと一年くらいで『身心脱落』『只管打坐』の目処が立つ」なんて大見得を切って、現在、その通りになっていることを考えれば、 われながら「禅者としてのセンスはまんざらでもない」と独りごちてしまうのであります。やっぱり、これはウヌボレなのかしらん。

たぶん、HP『肴はとくにこだわらず』次期リリースは来2015年です。

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リリース2013.5完了のお知らせ(13-05-12)

HP『肴はとくにこだわらず』2013年5月リリースを完了しました。

以前のリリースが2011年7月ですから約2年ぶりの更新でしょうか。私も39歳です。

若い頃に財宝(たから)を獲らないようなやつは牛のように老いる。(法句経)

月日の経つのは本当にはやいもので、30代を無駄に過ごさずに済んだことは幸運なことでございました。 (かなり、キツかったけど…)

さて、この度のリリースの目玉は電脳山養心寺『ちょっとはマシな坐禅作法』の大量更新であります。 それから姉妹ブログ『武禅ライフでいこう!』のコメント欄で行われていたQ&Aも掲載しております。 みなさまの坐禅修行の参考にされて心の成長を遂げていただくことが、 そのまま管理人・布施仁悟の悦(よろこ)びでございます。 こんな心境に到れるとは損得勘定で行動していた20代の私にはとても考えられないことでありました。

次回リリースは未定。

それでは、ごきげんよう!

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2011年7月リリース完了!(11-07-22)

2011年も上半期をとっくに過ぎたところで、
ようやくHP『肴はとくにこだわらず』2011年7月リリースを完了できました。

新たに更新した記事には、newマーク(newマーク)を施してあります。

とはいえ一年ほど前に書いたブログの記事を改訂して転載しただけです。

一年くらい前から、少しは思ったとおりの文章を書けるようになってきまして、
流行のツイッターなんていうつまらんつぶやきよりはマシだろう、
なんて思っていたんですけど一年後に読んでみると自己嫌悪に陥るもんです。

これは自分の文章構成力が上がってしまったからなのか、
そもそも文才の欠如なのか、どうも判断つきかねるわけですが、
とにかく、来年あたりに読んだらまた自己嫌悪するんだろうなと思いながら、
できうる限りのベストを尽くして改訂をしたわけであります。

そうして「これでなんとか見せられる文章になったかな…」
なんて腕組みをしていると、新聞記者なんて売文業の人たちは、
毎日どんな気分で文章を書いているんだろうなんて思ったんです。

「所詮、ブログなんてものは駄文の垂れ流し」

と思っていた自分が信念を曲げて手軽さからブログをはじめてみますれば、
一週間くらいは文章が安定しないので、ああでもない、こうでもない、
とあれこれ手を加えたくなってしまう始末。

それを新聞記者は数時間で書き上げて、翌朝には印刷に付されて、
あげくに国会図書館では未来永劫保管されて恥を晒すことになるわけです。
そんな状況に身を置くなんて24時間自己嫌悪しても足りないでしょうから、
できれば読まないで欲しいと思っている記者もいるのではないでしょうか。

私のこうした自己嫌悪はいずれ極限に達するはずですから、
「ホームページもブログも閉鎖して消えてしまいたい…」
なんて思うことも、きっとあるでしょう。

というわけで…

刹那の輝きを放つべくHP『肴はとくにこだわらず』をリリースしたいと思います。

しかし一発で据わりの良い文章を書ける幸運に一度は巡り合ってみたいものです。

そんなだから『肴はとくにこだわらず』次期リリースは2012年上半期になるかな?
(もしかしたら閉鎖してるかもね…)
ではでわ。

トピックスイメージ

2011年1月リリース完了!(11-01-01)

お待たせしました。『肴はとくにこだわらず』2011年1月リリース完了です。

新たに更新した記事には、newマーク(newマーク)を施してあります。

さて、残念ながら2010年も見性すらできませんでした。

ただし、氣感が備わってから約3年。
遅々として進まなかった悟境も少し進歩して体軸を感じるようになりました。

おかげで 『電脳山・養心寺』の「ちょっとはマシな坐禅作法」の
本格的な執筆をブログ上で展開できるようになったわけであります。

一方、やっと禅の正門の入口に立ったことで、
多少気後れしたこともあり、更新も一時途絶えてしまった2010年。

なんとも一年ぶりのHP更新となりましたので、
穴埋めの意味を込めてリンク集を少し更新しました。
坐禅修行に役立つサイトを集めてみましたのでご覧ください。
早い話。他人の褌を借りようという姑息な魂胆であります。

ともかく、2011年も真理を曲解させる葬式仏教を断固、峻拒してまいります。

葬式仏教の僧侶や結婚教会の牧師を血祭りにあげ、
無智な政治家やチョコザイな役人の横っ面を張り倒す
『肴はとくにこだわらず』を2011年も何とぞよろしく。
----いいのかね。毎年こんなこと書いてて…。

『肴はとくにこだわらず』次期リリースは2011年04月を予定しています。
(あくまでも予定ということで…)
ではでわ。

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2010年1月リリース完了!(10-01-01)

お待たせしました。『肴はとくにこだわらず』2010年1月リリース完了です。

新たに更新した記事には、newマーク(newマーク)を施してあります。
記事数は少ないですけれど記事の質を重視しているつもりです。

残念ながら2009年も見性すらできませんでした。

氣感が備わってから約2年。
坐禅の深化を客観的に確認できるようになったのはいいのですが、
遅々として進まない悟境に苛立ちや不安を感じながら坐っています。

さて、 『電脳山・養心寺』の「ちょっとはマシな坐禅作法」について、
他の記事に比べて歯切れの悪いことは分かっています。

ただし「氣感の育成行法」等のちょっとはマシな坐禅の要術の公開は、
やはり、少なくとも見性体験を経てからの方が適切だおもうのです。

とは言え「涅槃にも段階を設けてある」と記述してある
妙法蓮華経の真意は氣感が備わってはじめて理解できます。
真理を曲解させる葬式仏教は、断固、峻拒(しゅんきょ)するべきでしょう。

そこで、とりあえず葬式仏教の僧侶や結婚教会の牧師を血祭りにあげ、
無智な政治家やチョコザイな役人の横っ面を張り倒すことを
2010年のライフワークとして記事を更新していく所存です。

より過激に変化を遂げる『肴はとくにこだわらず』を今年もよろしく。
----いいのかね。こんなこと書いてて…。

『肴はとくにこだわらず』次期リリースは2010年05月を予定しています。
ではでわ。

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2009年10月リリース完了!(09-10-01)

お待たせしました。『肴はとくにこだわらず』2009年10月リリース完了です。

新たに更新した記事には、newマーク(newマーク)を施してあります。
記事数は少ないですけれど記事の質を重視しているつもりです。

先日、私・布施仁悟の坐禅にも新たな展開がありました。
妙法蓮華経化城喩品第七には「涅槃にも段階を設けてある」とあります。
まさに経典の記述通りの展開に触れる度に、
己の信心も確固不動のものとせずにはいられませんね。

とは言え、いまだ見性もしていない身ですから、
増上慢に落ちることなく坐禅を行じ続けたいと思っています。

『肴はとくにこだわらず』次期リリースは2010年01月を予定しています。
ではでわ。

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2009年7月リリース完了!(09-07-01)

お待たせしました。『肴はとくにこだわらず』2009年7月リリース完了です。

このたび、 電脳山・養心寺 を開山できることを悦ばしくおもいます。

これで、『肴はとくにこだわらず』の全コンテンツを 公開したことになります。

次期09年10月リリースからは、 各コンテンツをさらに充実させます。
ではでわ。

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2009年4月リリース完了!(09-04-04)

お待たせしました。『肴はとくにこだわらず』2009年4月リリース完了です。

このたび、仁悟のホビールームの記事 「できる受験生できない受験生」
を完成・公開できることを悦ばしくおもいます。

現在、
「仁悟のホビールーム」の全コンテンツ。
「北海道発。おかめの懸賞情報!」の全コンテンツ。
が完成しております。

「電脳山 養心寺」については、次期09年7月リリースで完成予定です。
ではでわ。

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相互リンクしました。(09-01-21)

相互リンクしていただきました。

かめこのホームページ』さんです。

おかめが、懸賞を始めた頃からチェックさせてもらってる懸賞サイトです。
当選もすごいし、情報交換のコミュニティとしてもすごいホームページです。

この度は、おかめのたっての希望で相互リンクを依頼し快く引き受けてくださいました。 管理人の「かめこさん」どうもありがとうございます。

当サイト『肴はとくにこだわらず』と相互リンクご希望の方は、
『お問合わせ』からご連絡いただければメールでお返事さしあげます。
電話番号は必須入力となっていますが、電話での連絡は基本的にいたしませんので、適当な番号を入力しておいてください。

また、相互リンクにあたっての用件等はこちらでご確認ください。
用件を満たさないサイト様については、リンクを見送らせていただくこともございますのでご了承ください。

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掲示板設置しました。(09-01-14)

『肴はとくにこだわらず』プチリリースしました。

掲示板を設置してしまったんです。
当初は、情報発信のみを貫こうとしたのですが、
リニューアルに便乗してきた「おかめ」の意向により、
掲示板を作成することになりました。
いざ、作ってみると私の坐禅コンテンツにも欲しくなって、
ついに掲示板を設置してしまったのです。
以下、URLを示しておきます。
布施仁悟の掲示板:仁悟の坐禅相談室『お悩み解決!』
おかめの掲示板:おかめの懸賞掲示板『クチコミュ』
今回は、正直しんどかった・・・。

『肴はとくにこだわらず』次期リリースは09年4月を予定しています。

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ブログ始めました。(09-01-02)

『肴はとくにこだわらず』プチリリースしました。

禁断のブログを始めてしまったんです。
ブログ形式での情報発信というのは、 駄文の垂れ流しのようで、どうも好きではなかったのですが・・・。
日記モジュールを新たに作成するよりもと、 ついにブログを作成することにしました。
以下、URLを示しておきます。
布施仁悟のブログ:坐禅ライフでいこう!
おかめのブログ:懸賞ライフをエンジョイ!

『肴はとくにこだわらず』次期リリースは09年4月を予定しています。

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おかめサイトの復活です!!(08-12-27)

こんばんは。おかめで〜す。

布施仁悟の役立ち情報発信サイト『肴はとくにこだわらず』がリニューアルされ、それに便乗して長らく休眠していた懸賞コンテンツを再開したいと思います。おかめサイトの復活です〜。

仁悟に新たな懸賞情報UPツールを作ってもらい、ズクなしおかめもバンバン懸賞情報をUPする気になりましたんで、ぜひ『北海道発。おかめの特選懸賞情報!』チェックして観てください。

「応募しなくちゃ始まらない。」高額もの。「これ当たるっしょ!」の穴もの。「やっぱりお金!」な金券もの。「もらってうれしい日用品」なお助けもの。「届いて快感!」な多数当選もの。「定期開催」などカテゴリーも充実!締切順の観やすい懸賞情報コンテンツになっています〜。

三日坊主にならないようにしなくっちゃね。
「北海道発。おかめの特選懸賞情報!」 懸賞情報は、随時、UPしてゆきますのでお楽しみに〜。

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リニューアル完了!(08-12-27)

お待たせしました。『肴はとくにこだわらず』リニューアル完了です。

このたび、布施仁悟の役立ち情報発信サイト『肴はとくにこだわらず』を、 リニューアルし公開できることを悦ばしくおもいます。

坐禅にて己の心を省みること30数年分。
やっと己の本心に適う文章を書くことができるようになりました。
これも全て坐禅のおかげ、仏の慈悲と心得て、 以降は、世俗のみなさんの心の成長に役立つ記事を書き続けたいとおもっています。

現在、
仁悟のホビールーム 「できる受験生できない受験生」の第一章。
「北海道発。おかめの懸賞情報!」の全コンテンツ。
が完成しております。

他の記事は、執筆次第、更新してゆくこととなりますのでご理解いただきたいとおもいます。
ちなみに、「できる受験生できない受験生」第二章「効率的効果的学習法」は、
次期リリース09年4月版で公開予定です。

ではでわ。

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