【BBS:Q&A 53】37歳脱落の予感
仁悟の坐禅相談室『坐禅の智慧で答えます。』37歳脱落の予感
2014年11月:スシュムナ様より
スシュムナ様の投稿
ある高名な禅師から公案はそれを通過したものから授からないと何の意味もないと聴いたことがあります。
昨今、西洋の学者連中が仏教の宇宙観の深遠さに気付き、こぞって経典を勉強するようですが、決して悟ることは無いそうです。
西洋人のクセで頭でそれを理解しようとしてしまう、経典仏教に陥ることなかれと嘆いておりました。
また、法を体得せずに法を語り、誤った仏法を他人に信じ込ませてしまえば必ずや厳しい仏罰が降り、地獄に堕とされるゆえ、ゆめゆめ気を付けろとのことでした。
【当山解説】
この投稿者は、ほんの一ヶ月前に「せっかく優しいお兄さんがヴィパッサナーすすめてくれるから、やってみますよ。いい勉強が出来たらいいし、それで、壁ぶち抜けたりしたらめっけもんだわ」と宣言した37歳の修行者である。
ところが、それから、まだ一ヶ月くらいしか経っていないのに、早くも当山のアラ探しを始めていることがわかる。
観察―ヴィパッサナー―というのは、まず己れのオツムを疑うところからはじまる。
それは「すべては己れの心に責任がある」という自覚があってはじめて可能になるものであり、「他人のアラ探しをしている自我」を観察することでもある。
たしかに最初は難しいかもしれないけれど、「観察をやってみる」と宣言してから一ヶ月も経たないうちに、こんな投稿をしてくる修行者がいるなんて、当山はとても信じられなかった。
こいつ、禅をなめてるんだろうか。
この投稿者とのやりとりには37歳の修行者が運命の忠告を無視して取り返しのつかない状況に陥るさまを記録した資料的価値があるだろう。
そもそも、こんなセンスのない下根機がどうして禅に興味を持つようになったのか…当山は不思議でならない。
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当山の返答
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ある高名な禅師から公案はそれを通過したものから授からないと何の意味もないと聴いたことがあります。
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その通りですよね。私も師家について入室参禅することに憧れたのですが、通えるところにいる禅寺の住職は、そういう人物ではなかった。
非常に残念です。
そんなとき秋月龍ミンさんの、その名も『公案』という本を読みました。
「白隠禅師の残した公案体系の中には真理が埋め込まれているはずだから、後世になれば、それを自家薬籠中の法財として利用する者も出てくるだろう」
これを読んで勇気づけられた私は、内なる師―サット・グル―とともに白隠禅師の残した公案体系を解き明かすことにしました。
そもそも私の師は内なる師なのですから。
どうやら、スシュムナさんは現在必要なことを学びにきているようですね。
そろそろ経典の読み方を身につけておかなければならない時節だから当然なのかもしれません。
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西洋人のクセで頭でそれを理解しようとしてしまう、経典仏教に陥ることなかれと嘆いておりました。
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自分の内的体験と経典の文言を照らし合わせられるようにならないうちは頭で理解することになります。
主観を持って文章を読む習慣が抜けない人は、自我暴露の内的体験が圧倒的に足りないので、経典の意味なんてわかるわけがないんです。
逆に言うと自我暴露の内的体験を積めば積むほど経典の文言が腑に落ちてくるようになります。
そうすると読み方が逆転するんです。
経典から学ぶのではなく自分の内的体験を経典で確認するように。
それができないうちは、経典どころか、ここにある私の文章を読みこなすことすらできません。
“誤読する”というわけです。
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また、法を体得せずに法を語り、誤った仏法を他人に信じ込ませてしまえば必ずや厳しい仏罰が降り、地獄に堕とされるゆえ、ゆめゆめ気を付けろとのことでした。
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で、経典の文言が腑に落ちてくるようになると、今度は伝道をするための学習が始まります。
それは“人と分かち合えるもの”を懐胎するからで、その“人と分かち合えるもの”は自分の意志にかかわりなく自然に流れ出すんです。
人によってはなんらかの表現をせずにはいられない。
そこで私はブログとホームページで“人と分かち合えるもの”を表現しているわけです。
気をつけなければならないのは、自分の内的体験より先のことは語らないことであります。
これが結構むずかしい。
上記はその警告の文言です。
「悟ってからではないと伝道できない」という意味ではありません。
ついでに老婆心をひとつ。
スシュムナさんが私の中に見ている問題は、実はスシュムナさん自身の克服すべき課題そのものなんです。
鋭い観察眼を持っているようだから、それを自分自身に向けるだけで突破口が開けます。
そこに気づけば卒業。気づかなければ落第。
これまでスシュムナさんのやってきた禅定の修行は、精神集中するだけのエスカレーター式ですから、運命の課題に落第し続けていても、それなりの段階に到達することは可能なんです。
けれども、そこに安住してしまって般若(智慧)を身につける解脱の修行をないがしろにしてはいけませんよ。
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スシュムナ様の投稿
また、いつもの誤読ですね。申し訳ない♪
話題を変えて、好きな経文の話でもしませんか。
私が100回以上読んだのは、大般若の577と578です。
金剛経と理趣分ですね。それに普門品も。
100回も普門品を読んでみて、やっと行間から滲んだのは、私ならスシュムナ観音に成らなければならないということでしょうか。
慈悲あっての佛教ですから、自我を沸かしきって残ったのが、優しいやさしい佛かと思っています。
近頃、早起きしてある不動尊に通っております。
一番、体調がキツかった時期に幾度もお不動さんの夢を見たからです。
時には笑っておられました。
それを縁に朝の勤行に参加しており、まだ暗いうちから、あらん限り声を振り絞り、読経と真言のお勤めです。
護摩に思いを託す人の一助にでもなれば幸いと思っておりましたら、私自身の体調がすこぶる良くなってきました。
愚直な修行もいいもんですよ。
なにしろ点じゃなく面でバシッと受け取りますから、
私はそもそも悟ろうという気持ちがないんですね。
それと菩提心はちょっと違うと思うんです。
私の菩提心はスシュムナ観音に成るということですかね。
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当山の返答
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金剛経はすごいよね。私は最近になってようやく価値がわかってました。
それから、私の一番のお気に入りは「法句経(ダンマパダ)」です。
何度繰り返し読んだかわかりません。
法華経なら「常不軽菩薩品第二十」かな。
ブログを運営していると「コノヤロウ」なんて思うコメントがときどき来るんですけど、不軽菩薩の「われ汝を軽しめず」をいつも思い出してました。
これは、ほとんど呪文であります。
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当山雑感
ここで、この投稿者が“好きな経文”として挙げている経典群は、なんらかの功徳を期待して経典を唱える民間信仰において好んで読誦されるもので、どうやら経典を「ラミパス、ラミパス、ルルルルル」などの呪文のようなものだと思っているらしい。
この修行者は経典の行間なんぞ読もうともしていないのだ。
また、この投稿者は、自我を暴露した内的体験が一度もなく、当山が“興菩提心体験”と呼んでいる段階を透過したことがないため、“菩提心”の意味もわかっていないのである。
“愚直な修行”が聞いて呆れる。
こういう下根機でも密教的行法の知識を容易に入手できてしまう昨今の状況は現代的悲劇としか言いようがない。
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