【坐禅作法29】雲水のための心随観講座
ちょっとはマシな坐禅作法 雲水のための心随観講座〜Trial Impossible 5〜
〜Trial Impossible 5〜
心随観はこうするのだ!
もしも、蝶をつかまえ、花を摘み、星を愛でるようなことを欲しているなら、
坐禅ではなく自慰にふけって刹那的なエクスタシーに倒錯していればよろしい。
神様・仏様を味方につける、宇宙から幸運を引き寄せる、
天使がいるとかいないとか、超能力を身につけるとか、
そういうことを目指して坐っているだけのクルクルパアなら、
これから授けようとする心随観には耐えられないからやめておけ。
ボクはこれから諸君の心を握りつぶし、土足で踏みつけ、
ナイフでめった突きにし、血祭りに上げてやるつもりでいる。
理不尽で非道徳にも聞こえようが、ボクは偽善者ではなく禅者である。
それが道徳的に正しいかどうか。そんなことは大して気にならないのだ。
そもそも、それが慈悲であり愛なのである。
非常に近しい人間関係、中でも親子、恋人、夫婦の間では、人は傷つくことが多々あります。
それがどうしたというのでしょう?
傷ついたとき、それはまるで世界の終わりのように思えるかもしれませんが、
そうではありません。傷つけば痛みます。どれくらい傷つきたいか、ではなく、
どれくらい傷ついてもいいと思うか、
それは、あなたがどれくらい愛し、愛され、愛から学ぶ意思があるか、を意味します。
愛はあなたの教師です。
ただし、それは決してあなたに、傷つくことを避けよとは教えません。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』P.254-255「40 自覚した無邪気さ」)
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愛を信じなさい。
愛があなたを傷つけるなら、徹底的に傷つきなさい。
ズタズタになりなさい。
愛によって真っ二つに引き裂かれた心から、もっと深い愛が姿を現すように。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』P.255「40 自覚した無邪気さ」)
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人は傷つくまいとする度に心の重荷を一つ増やし、
傷つけまいとする度に心の重荷を一つ減らす。(布施仁悟)
この“傷つくまいとする心”と“誰かを傷つけようとする心”。
そこに諸君の劣等感は潜んでいる。
心随観を修することは、この劣等感と真正面から対峙することに他ならない。
無意識の壁の大部分は劣等感を素材として築かれているからだ。
それでは劣等感と対峙して無意識の壁に風穴をあける心随観を授けよう。
心随観はこうするのだ!
『ポケットの中のダイヤモンド―あなたの真の輝きを発見する』
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ボクは心随観の実践例をこの本でしか読んだことがない。
この著者はホンモノの瞑想を伝えようとしている。
ただし文才がまるでない。玉に瑕(きず)とはまさしくこのこと。
だから読者は読解力を必要とする。
それはもちろん学校の国語で要求されていた能力とは違うからね。
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心の性質その一:心はいかに彷徨うのか?
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たとえば、ここにオツムの固い昭和のおとーさんがいるとしよう。
出世コースを外れた空しさから参禅しはじめたサラリーマン。影山道夫54歳だ。
その日は夜勤で、仮眠を取りながら会社で一夜を明かすことになっていた。
17時頃、総務のおねーちゃんから健康診断の結果を受け取って道夫は青ざめる。
「糖尿病の疑いアリ」
考えてみれば掛け金を払ってきた保険の内容も良く覚えていない。
20時を過ぎて不安になってきた道夫が家に電話をかけると息子が出た。
「ちょっとお母さんにかわってくれないか」
「今いないよ。さっき電話があって今日はしばらく帰らないって」
「ど…どうしてだ?」
「美女の会で友達とお食事だって。たまにはハメをはずさせてもらうとさ」
「な…なぬぅ!いい歳こいて美女の会とは何事だっ!どうせケチなババアの集まりじゃないか」
「そういうことなら本人に言ってよ。じゃあね」
道夫のオツムにはたちまち想念が湧き上がる。
<<亭主が今まさに辛い仕事をしているというのに、オレの稼いだ金でその妻が遊び歩いているなんて>>
その瞬間…今まで聞いたこともない心の声が響いてきた。
<<もしかしたら自分が間違っているのかもしれない>>
道夫はその正体まではわからなかったけれど、
そこに不快な“心のわだかまり”があることを54歳にして初めて知った。
それに、滅入るにまかせて酒で気分を紛らわせてきたこれまでの自分とは違うつもりだった。
参禅している電脳山養心寺の布施仁悟老師は初対面の時にこう言ってくれたのだ。
「54歳で参禅してくるとは素質がおありですね」
当初は弱冠37歳の若い老師に不信感を抱いていた道夫も、
その一風変わった法語聞きたさに足しげく通うようになっていた。
今こそ学んだばかりの心随観の技法を試してみよう、と道夫は思った。
<<もしかしたら自分が間違っているのかもしれない>>
この心の声の発せられる瞬間が心随観の入口である。
そこで、行住坐臥、いつでも心の声に耳を傾けておくようにするといい。
さて、自分自身を知るためには、あらゆる瞬間ごとに、
強制することなく、駄目だと決めつけることなく、
あるいはまた、正当化することなく、
絶えず(自分の心の状態に)気づいていなければならない。
ものごとをあるがままに見る一種の受け身の警戒状態にあらねばならない。
(M・ベイン『キリストのヨーガ』P.77「第四章 「サタン」の正体は「自我」である」)
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すると日常の中の些細な出来事すべてが心随観の修行道場と化すのである。
また心の声の発せられる瞬間をヴィパッサナーでは“サティ(気づき)を入れる”
と呼ぶそうだから、ここでもそれを便宜的に踏襲したい。
最終的には日常に転がる様々なケースにサティを入れ続けてゆくことで、
三つの心の性質のうちの一つ目の特徴を自然に学ぶことになる。
心の性質その一:心はいかに彷徨うのか?
もし君が甲の想念は正しく、乙の想念は間違いであると言ったところで、それは空しい。
君が突きとめなければならないのは、なぜ心がさまようのかということなのだ。
(M・ベイン『キリストのヨーガ』P.73「第四章 「サタン」の正体は「自我」である」)
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正誤善悪の判断を下したとき。心の声は強く響いてくる。
<<もしかしたら自分が間違っているのかもしれない>>
このサティが入ったら、次に突きとめなければならないことがこれ。
心の性質その二:心はいかに欺くのか?
『解脱の真理 改訂版―ヒマラヤ大師の教え』
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つまり心随観の入門書がコレなのである。
霞ヶ関書房の本はAmazonで絶版扱いになっていても
大型書店で注文すれば取り寄せてもらえるはず。
いざとなれば出版社に直接注文するといい。
送料はかかるけどマーケットプレイスでカモられるより、
ずっといい。
参考までに…定価:5250円TEL:03(3951)3407
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『キリストのヨーガ―解脱の真理 完結編』
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解脱の真理の続編。前作の内容をさらに掘り下げている。
心随観のより実践的な内容でありがたい一冊。
続編なのに出版社が違うのはどういわけだ?
参考までに…定価:3360円TEL:03(3439)0705
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心の性質その二:心はいかに欺くのか?
電脳山養心寺の便所へ続く渡り廊下は長い。
その壁には老師直筆の書がびっしりと貼られていて、
便所の中にまで貼り付けてあるものだから、嫌でも眼に入ってきてしまう。
おかげで参禅者の間では“相田みつをもどき”と老師は呼ばれていた。
『宝蔵は心のわだかまりの奥にある』
便所の金隠しの正面に張りつけてあった書の言葉が浮かんだとき、
老師の法語が思い出されてきた。
「みなさんには心が彷徨って随息観を続けられなくなる瞬間があるかと思います。
そんなときは随息観に戻ってはいけません。
どうして心が彷徨うのかを探求してください。
“呼吸のリズムに戻れ”とか“集中の対象に戻れ”なんて指導する方もいらっしゃるようですけれど、
それは皆さんにはまだ早いのです。
そうすべき時節がきたら私が頃合よろしく教えます。
ちゃんと皆さんのこと見てますからね。
私の目玉はみなさんの便所にだってついて廻っているんですよ」
たしかにそうかも、と道夫は思った。
<<亭主が今まさに辛い仕事をしているというのに、オレの稼いだ金でその妻が遊び歩いているなんて>>
…このオレの考え方が間違っているのかもしれない、と道夫は考えてみる。
亭主が金を稼ぎ家族を養うのは当たり前の構図である。
妻の久美子が家事をそつなくこなしてくれていることには何の不満もなかった。
留守の間に貞淑の仮面を破ってどこかの男とシケ込んでいるわけでもない。
食べ歩き仲間と作った「美女の会」とかいうやつの大それた名称は納得できなくとも、
それはそれ。道夫の人生には何の過不足もないはずで、
そう考えてみると、オレがどうかしているのかもしれない、と思えてきた。
そこへかつての同僚が顔を出してきた。
同じく出世コースから外れたよしみで近頃再び親しくなってきた飲み仲間だ。
「道夫ちゃん、今日これからどう?いやあ、宝くじ十万円当たってね。オレ、おごっちゃうからさ」
「何だよタイミング悪いな。今日、夜勤なんだよね。また今度頼むよ。で、宝くじ当たったの?いいねえ、ツイてるねえ」
「そうなんだよ。でもよ、カミさんがね、友達同士で韓国に行きたいからそれ頂戴とか言い出してね。
これ、オレの小遣いで当てたのよ。だから、きっぱり言ってやったんだ。
オマエは三食昼寝つきでテレビ観放題じゃないか。そのうえ海外旅行だなんて虫がよすぎるってね。
だいたい結婚してから働きづめで亭主のオレだって海外旅行なんか行ったことないのによ。
女房甘やかすほど情けない男じゃねえよ、オレさまは。なあ、そうだろ?」
「うん、まあ、そうかもな」
…オレの稼いだ金でその妻が遊び歩いているなんて、やはりおかしいと道夫は思った。
妻を甘やかすほどの情けない男になったらお天道さまに申し訳が立たない気もする。
「男に生まれたからには男らしく生きなければいかん」とは死んだ父親からの遺言のようなものだった。
同僚にだってバカにされているような気がして道夫は落ち着かない。
…道夫は妻の久美子に不満のあることを思い出した。
出世コースから外れたことがわかったときにこう漏らされたのだ。
「アタシだってがんばってきたんだけど…残念だわね」
…オレの出世の足を引っ張りやがったくせに、と道夫は思う。
一人娘である久美子の両親の介護に疲れて働きざかりの40代を棒に振った。
あれさえなければもっとやれたはずなんだと道夫は思ってきたのである。
…ひとつとっちめてやろう、と道夫は思う。
久美子の作るオムライスはいつも不味かった。
チキンライスはべたついているし、それを包むのは火の通り過ぎた薄焼き卵。
結婚以来、久美子の作る料理にケチをつけたことはないけれど、
今度こそ文句を言ってやると道夫は思った。
「オレはパラパラのチキンライスと半熟卵のオムライスを食べたいんだ!」と。
「オマエのオムライスなんか一度たりともウマいと思ったことはない!」と。
この物語の主人公・道夫のように心随観の入口を見つけることは容易である。
ただし、そこから心随観を修することになるかどうかはセンスの問題だ。
心の随観は、自然に心理的現象が発生した時に行うべきもので、
強引にやろうとすると、心の状態を観るのではなく、
思考で考察することになりかねません。
頭で考えて「嫌悪」という判断を下すのは思考であって、心随観ではありません。
(地橋秀雄『ブッダの瞑想法』P.182「第五章 心を観る瞑想」)
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また、多くの参禅者はこんな指導を受けていると思うけれど所詮無茶なお話。
「妄想」とサティを入れれば、思考の連鎖は断ち切られ、中心対象にもどれます。
「音」とラベリングをすれば、子供の遊ぶ声を聞き続ける状態も終わります。
妄想が止まらないのも、音が執拗に耳にこびりつくのも、
自分の心が執われていて、その対象を取り続けているからです。
正確なサティが入ると、その瞬間につかんでいたものが対象化され、
客体視されます。すると後続が断たれて、立ち消えのように終わってしまうのです。
(地橋秀雄『ブッダの瞑想法』P.183-184「第五章 心を観る瞑想」)
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サティを入れたときに思考の連鎖は断ち切られるかもしれないけれど、
そこにある心の問題を未解決のまま残していたら元の木阿弥なのである。
同じような問題行動を将来にわたって繰り返し続けることになるからだ。
坐禅入門者の分際で流れ行く雲や水のように心を漂(ただよ)わせているから、
いつまで経っても初心者マークの“雲水”なのである。
そういう身の程知らずの“あるがままの心”ほど迷惑なものはないものだ。
まずは坐禅や瞑想の指導者とのセンスの違いに気づかないといけない。
老師と呼ぶにふさわしい禅や瞑想の指導者ともなれば、
心に欺かれて思考がノンストップで無意識の横滑りをする道夫のようなことはない。
“思考の滑り止め”をするための膨大な“心の契約”をストックしているからだ。
三つの心の性質を知り尽くしているため、思考が横滑りを始めた瞬間に
“心の契約”のデータベースが立ち上がり“思考の滑り止め”機能が作動する。
だから正統の坐禅に入門したばかりの雲水は“思考の滑り止め”のコツを学び、
“心の契約”のデータベースをそれに相応しく更新しなければならないのである。
しかし、この作業は多くの人にとって耐えがたい精神的苦痛を伴う。
「同僚にバカにされたくない」などの“傷つくまいとする心”の発動を契機に
人の思考は横滑りを始めるのだから、“思考の滑り止め”に成功するためには
“傷つくまいとする心”から逃げずにそこにある劣等感と対峙する必要がある。
劣等感という心の闇を直視すればこそ解決策も浮かぶものだけれど、
「傷つく理由など何もない」と達観するまでは誰だって辛いものがある。
そのため、この作業を避けるために坐禅に没頭するケースもあるそうだ。
今、問題にしたいのは、一見正しくヴィパッサナー瞑想をしているのですが、
センセーションに対する集中に埋没することによって、
もっと大事な見るべきものから眼を背けるケースです。
この事例の瞑想者は、「現在の瞬間への逃避」のケースでした。
過去から逃れるために、現在の瞬間に没入しようとしていたのです。
心の闇から眼を背けようとする情熱です。
(地橋秀雄『ブッダの瞑想法』P.193「第五章 心を観る瞑想」)
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この瞑想者にとって、センセーションの世界に没入できるサマーディは、
直視すべきものから眼を背ける恰好の仕掛けになっていました。
苦から逃れたいという動機から、全力投球で中心対象に集中していくのですが、
それは、今この一瞬のセンセーションにのめり込めばのめり込むほど、
過去に眼を向けることも、病根を直視することも免れるので、
抑圧のメカニズムが見事に守られる構造なのです。
表層意識では現在の瞬間に集中し、解脱を目指すことに必死でしたが、
本心は過去の病根を隠すことに必死だったのです。
(地橋秀雄『ブッダの瞑想法』P.194「第五章 心を観る瞑想」)
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この類の雲水は“修行”にしか興味がないので“修業”の話を避けたがるけれど、
坐禅修行には精神集中の行に移行する時節のあることを知っておいて欲しい。
“心の契約”のデータベースの更新がひと段落する頃に第三の結節は解ける。
精神集中の行はそこから始めるもので、それまでは自己分析力を磨くが第一。
この“修業”によってより深い意識層を探求するための準備が調うのである。
“修業”のプロセスを無視して精神集中の行に没入した成れの果てとして、
気功師や心霊治療家や新興宗教の教祖どまりになってしまっては後の祭り。
禅者の使命は智慧を授けることで人をして独り立ちさせることにある。
己の心の傷の治療法もろくに知らない禅者がどうして誰かの心の傷を癒せよう。
さて、“心はいかに彷徨うのか?”“心はいかに欺くのか?”
この二つの心の性質を知れば“思考の滑り止め”ができる。
さらに“新たな心の契約”を結ぶとき三つ目の心の性質を知ることになる。
心の性質その三:心をいかに鎮めたらいいのか?
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心の性質その三:心をいかに鎮めたらいいのか?
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夜勤あけ。
道夫は再び始まった朝の喧騒のなかをいつもと逆にたどる。
ラッシュも一段落して電車の中の人影もまばらだった。
鞄から公案の書かれた紙きれを取り出した道夫は、
三ヶ月前に得度を申し出たとき老師に諭された言葉を思い出していた。
「得度というものは形式ではないんです。
景山さんの心が得度にふさわしい状態に達したときにみ仏から与えられるものなんです。
私には得度を授けるなんて思い上がったことはできません。
そうですねえ。得度の準備を調える意味で、そろそろ公案をやってみませんか?」
そうして渡された公案を読んだ道夫はからかわれているような気がしたものだ。
『電脳山養心寺公案集 養心門 第一則 蟻と蝶』
蟻(アリ)が身の丈よりも大きな虫の死骸を運んで花の下を通っていたとき蝶が飛んできてその蜜を吸った。
蝶は軽やかに飛び去り、またすぐに戻ってきて、再び蜜を吸った。そこで蟻は蝶に苦言をていした。
「おまえは無計画に努力することなく生きているようだが、私は違う。
こうして来たるべきときのために毎日備えを怠らない。
備えあれば憂いなしだ。何ら計画らしいもののないおまえにとって生きている価値などあるのか?」
蝶は答えた。
「わたしは気ままに楽しく暮らしているの。
それがわたしの生きる道。計画など持たないのがわたしの計画なの。余計なお世話よ」
その瞬間、駆けてきた人間の子供に踏まれて蟻は死んでしまった。
「老師は私をおちょくっていらっしゃるのですか?」
「そんなことはありません。公案は心に感じ入るままに解釈してください。
たしかに百人いれば百通りの解釈が成り立ちますが、
その真意は理性で解釈することをやめたときに立ち昇ってくるものなんです」
道夫が家に着くと久美子はブランチとしてオムライスを作った。
「おまえ…これどうしたんだ?」
それはパラパラのチキンライスにふわとろ半熟卵のオムライスだった。
「昨日の夜にね。加藤さんの奥さんのところで教わったの。
半熟卵が難しくて何個もダメにしちゃったから帰るの遅くなっちゃって。
おかげで今朝はアタシも眠いのよ。どう?おいしいでしょ」
「あ…うん」
「あらヤダ。『糖尿病の疑いアリ』って何これ。
アタシのお料理がいけなかったのかしら。
ねえ、やっぱり生野菜をいっぱい食べなきゃいけないわね。
お父さんに今死なれたらアタシどうしたらいいかわからないもの」
「そんな、糖尿病だからって死ぬわけじゃなし。大げさなんだよ、おまえは」
その晩の夜坐。道夫が禅的三密観を行じているといつもと違う気分になってきた。
<<想うべきことについて、想わなかったこと想ってしまったことはないか?>>
いつもなら<<そんなものはない>>としか思えなかったのに今夜はここで、
どうもひっかかる。久美子をひとつとっちめてやろうと思った自分が恥ずかしくなってきたのである。
二度とこんな愚かな過ちを繰り返すまいと道夫が真剣に決意を決めたとき
ひとつの警句が心の底から湧きあがってきた。
『人は傷つけまいとする度に心の重荷をひとつ減らす』
道夫はいったん坐から離れて手帳にこの警句を書きとめてみた。
すると、久美子は何も言わなくても自分のためによくやってくれているというのに、
何も過不足なんかないと思った矢先に、どうして心のベクトルが怒りに振れたのか。
そんな自分があまりにもバカらしく思えて道夫は笑い出してしまった。
その瞬間、もう一つの警句を思いついた。
『好きなようにさせておくのが一番。何事も反論の余地はない』
道夫はあの公案の意味がわかったような気がした。
後日、老師との出会い頭に道夫は言い放(はな)った。
「老師、公案の真意がわかりました」
「ほう、そうですか」
老師が足を止めると、一呼吸おいて道夫は答えた。
「蟻が…蟻が私の中で息絶えたんです」
老師は答えた。「とうとう…」
老師は満面の笑みを浮かべている。
「とうとう心の無意識の壁に風穴を空けましたね。景山さんが得度を授かる日も近いでしょう」
道夫が老師の言っている得度の意味を知ったのはその半年後のことである。
坐禅の進歩は“修行”では得られないという意味が解りかけてきたものと思われる。
自分の愚かさに直面したときの真剣な決意だけが進歩を約束してくれるのだ。
だけど、今のボクは厳しいことを書きすぎて少し気後れしてしまっているから、
ここからはガンガジというもっと厳しい覚者に代弁してもらうことにしたい。
『ポケットの中のダイヤモンド―あなたの真の輝きを発見する』
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ボクは心随観の実践例をこの本でしか読んだことがない。
この著者はホンモノの瞑想を伝えようとしている。
ただし文才がまるでない。玉に瑕(きず)とはまさしくこのこと。
だから読者は読解力を必要とする。
それはもちろん学校の国語で要求されていた能力とは違うからね。
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彼女の本は心随観を修しはじめた禅者への助言で溢れかえっている。
しばらく絶版だったのだけれど別の出版社から再版されたので入手も容易だ。
驚くべきことに、真の師、真の教えは、限りない慈悲と無情さを持って、
あなたを一直線にその傷そのものの真っ只中に突き落とします。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』P.210「32 根本的な傷を癒す」)
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傷から逃れる様々な方法をさんざん試した挙句、
あなたは成熟し、どんなに逃げてもまだ同じ傷があなたを待っていることに気づくのです。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』P.211「32 根本的な傷を癒す」)
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どんなに心理的・理性的な見識が得られても、苦しみの原因は消えない、
ということにあなたは気づくかもしれません。
その意味で心理療法は大変役に立ちます。それに気づいて初めてあなたは、
「それならば、いったい何がこの苦しみの原因を取り去ってくれるのだろう?」
と自分に問うことができるのです。
仮にあなたが心理的に自分を高める努力を二十年、四十年、いえ五十年続けてきたとしても、
苦しみの原因がそこにある限り、あなたにはまだ、
見つけなければならない本質的な何かがあります。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』P.211-212「32 根本的な傷を癒す」)
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真実はあまりにもシンプルです。それを複雑にするのは、
私たちの頭の中に様々な形で刻み込まれた、数々の逃避の方法です。
あなたの逃避の方法はほかの誰かの方法と似ているかもしれませんが、
人にはそれぞれちょっとずつ違った逃避の方法があります。
逃げたい、という衝動に気づき、
その衝動に直面しながらも逃げるのを止め、振り向いて、
あなたが逃れようとしてきたものと正面から向き合うことが、あなたにはできます。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』P.213「32 根本的な傷を癒す」)
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逃げたい、という衝動を自覚すると、選択肢が生まれます。
逃げることを拒(こば)み、苦しみの原因と思われるものと向き合う、
という選択肢です。選択する能力というのは理性の持つ最も優れた力ですが、
この選択はあなたがこれまでにしてきたどの選択とも違うレベルのものです。
抵抗を止め、逃げ出そうとするのを止める、という選択をしたとき、
否応(いやおう)なく、見事に、何の努力をも必要とせずに、
あなたという存在の宝物が、あなたの真実の姿として現れます。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』P.214「32 根本的な傷を癒す」)
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けれども、あなたがそれに気づかなければ、
抵抗を止めるという選択を阻(はば)む巧妙な理性の囁(ささや)きが聞こえます。
なぜ抵抗を止めることができないか、なぜ今止めてはいけないか、
止めるのはもっと後でいい…。あなたが、
自分が本当に望むものは何かと自問するとき、ふたたび探求は始まります。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』P.214「32 根本的な傷を癒す」)
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正直に自分の内側を見つめ、自分は何から逃げようとしているか、
自由を手に入れるためにどんな傷を癒したいと願っているかを追求するのです。
その追求によって、逃避の実際のメカニズムや戦略を明らかにしてごらんなさい。
答えは、誠実に、正直に浮かぶまま、自分で手を加えてはいけません。
自分にこう尋ねてごらんないさい。 …「私は何から逃げようとしているのだろうか?」
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』P.217「32 根本的な傷を癒す」)
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ただあなたの逃避のパターンを見つければいいのです。
逃げたい、という衝動の働きを経験し、同時に、その衝動に従わずにいること、
衝動を持ちながらもそこにどんな物語、戦略、
期待する結果も付随させずにいることが可能であることを経験してください。
ただここに在って、何もしないでいてごらんなさい。
逃げることはできない、という確信を理性に受け入れさせてあげてください。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』P.217-218「32 根本的な傷を癒す」)
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自画自賛だけれど、この記事以上の心随観の解説をボクは読んだことがない。
だからこの記事を読んでも心随観の何たるかがわからないとしたら、
それは読者のオツムに属する問題でボクの与り知らぬところである。
最後に、ちょっと助言をつけ加えておこう。
“新たな心の契約”は従来の価値観とは違うものであるべきだけれど、
ボクらの心は劣等感に蹂躙(じゅうりん)されているものだから、
自尊心を回復するような契約はなかなか思い浮かばないものである。
そこで役にたつのが前回のミッションで紹介した本。
『うまくいっている人の考え方』
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これは著者の冒頭での告白。
「私自身、困難な教訓ほど直視したくなかった。
しかしだからといって、それが真理ではないということにはならず、
結局、私はその教訓を学びとるまで何度も苦しみつづけなければならなかった」
こういう体験から生まれた本には人の人生を変える力がある。
心の中に巣喰う劣等感を浮き彫りにしたければ、
自尊心を高めるような考え方をぶつければいい。
この本はそのための恰好のテキストである。
坐禅入門者、とくに声聞道を正しく歩む者は、
こういう考え方が自然に身についてくるものなのだ。
なんとAmazonマーケットプレイスなら1円から買える。
送料は別だけど…。
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自尊心を回復する考え方をあらかじめ仕込んでおこうという作戦なのだ。
えっ?まだ入手してないだって!やれやれ、しっかりしてくれよ、禅者諸君。
動中の工夫は静中にまさること百千万億倍
(白隠禅師『於仁安佐美(おにあざみ)』)
心随観は白隠禅師本統の禅でもあるようである。
心随観をマスターした禅者には一段階進んだことを証明するイベントが待っている。
それが次のミッションのテーマだ。あらかじめイベントをこなしておくといい。
わかってると思うけど、寺に行ったって無駄だぜ。
だからって神社に行くなよ。
それでは次回のミッションでまた会おう。健闘を祈る。
(2012.1・改訂2014.8)
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肴はとくにこだわらず厳選情報 |
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