【坐禅作法36】懺悔の本質
ちょっとはマシな坐禅作法 懺悔の本質〜心随観のヒント 5〜
〜心随観のヒント 5〜
特別クラスについて
29歳を迎えて特別クラスへの招待状の届いた凡人諸君は、
担任である内なる師と出会うための選抜試験を通り抜けなければならない。
これは選抜試験合格者による傾向と対策を述べた体験記である。
Case4 たとえば過去のトラウマから導き出される言葉の処方箋
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さだかではないのだけれど特別クラスの入学には年齢制限があるようだ。
29歳から34歳までの男女。
特別クラスのメンバーはそこから38歳までの中年ばかりで構成されている。
別棟に老年向けの特別クラスもあって、そちらは来世で救われる人向け。
彼らは今世では天才になり損ねたもののその精神的努力を認められ、
来世で秀才としてこの世に生まれ落ちるための試練を受けている。
あちらは見たところ58歳から67歳までの男女に限られるようだ。
どちらにしろボクはあちらの特別クラスのことはよくわからない。
加齢臭はあまり得意じゃないから近づきたくないんでね。
また選抜試験とはいえ特別クラスに定員はない。
すなわち条件さえ満たせば誰でも一員になれる。
その条件とは“己れの愚かさを直視すること”。
こう言うとずいぶん難しいことを要求されているようだけれど、
一度乗り越えてしまえばそんな大それたことでもないはずだ。
“心の中の反応を間違ってきたことを素直に認められるか?”
それだけのことなんだけど凡人生活が長いとこれが難しいみたい。
誰にも平等に機会はあるのに選抜試験合格者が一握りしかいないのは、
おそらくそのためだとボクは思ってる。だからちょっと訓練が必要だ。
ボクの成績は特別クラスの中でも下から数えたほうが早いくらい。
つまずきやすいポイントで必ずといっていいほどつまずいてきたから、
優秀な人たちに比べたら逆に教え方はうまいと思うよ。
そんなボクのおすすめの訓練法は過去観。
『ポケットの中のダイヤモンド―あなたの真の輝きを発見する』
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ボクは心随観の実践例をこの本でしか読んだことがない。
この著者はホンモノの瞑想を伝えようとしている。
ただし文才がまるでない。玉に瑕(きず)とはまさしくこのこと。
だから読者は読解力を必要とする。
それはもちろん学校の国語で要求されていた能力とは違うからね。
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きっと過去観をおすすめするのはボクだけじゃない。
ワカッテル人ならみんな口をそろえて言うことなんだ。
心に平安を得るために、あなたの人生で「問題」だと思われるものをごまかさずに観察してみることにしましょう。
問題について考えるためには、まず過去の記憶を呼び起こして、
「問題」とされる物語を思い起こす必要があることがわかるでしょうか。
それをするかどうかはあなたの選択次第です。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』-P.271「43 問題よりも平安を選ぶ」)
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だけど優秀なワカッテル人たちの言うことって意味不明だと思うんだよね。
ボクらの間で語り種(ぐさ)になってる伝説の卒業生がいるんだけど、
その人はひたすら坐ってただけなんだって。
それで卒業した後も“ひたすら坐れ”なんて他人に指導しちゃったから、
それを聞いた人たちはひたすら坐ってドツボにハマってるらしい。
名前は…たしか道元とか言ったかな?
しかもトイレの作法までいちいち書き残したりしたらしいんだ。
まったくウンコくらい好きにさせてやれよ。余計なお世話だっつーの。
優秀な人たちのオツムの中ってよくわかんないよね。
一般的に人は、問題を再構成するために過去を振り返ります。
もしも問題を再構成しないことを選択するとしたら、
その問題は重要ではなかったということになりはしないでしょうか?
そこから学ぶべきことを学んだかどうか、どうしたらわかるのでしょうか?
−私たちが過去を振り返って問題を再び思い起こすのは、
その問題が重要だという思い入れがあるからです。
これはいわば「生まれ変わり」です。
つまり、同じ問題、同じ物語、同じ惨(みじ)めさを抱えて毎日生まれ変わる、
という選択肢を選んでいるようなものです。
それが自分の選択であることにいったん気づけば、
問題を生かしておくためには何が必要かに気づくこともできます。
問題を重要なもののままにしておくためには、
「終わったこと」に時間、努力、エネルギーを費やす必要があるのです。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』-P.271-272「43 問題よりも平安を選ぶ」)
これを書いたガンガジさんはここで過去観の要点を述べているんだけど、
案の定、このままではワカッタようでさっぱりワカラナイと思う。
というわけで、そのこそばゆいところを解説してみよう。
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過去観
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一般的に人は、問題を再構成するために過去を振り返ります。
もしも問題を再構成しないことを選択するとしたら、
その問題は重要ではなかったということになりはしないでしょうか?
そこから学ぶべきことを学んだかどうか、どうしたらわかるのでしょうか?
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』-P.271「43 問題よりも平安を選ぶ」)
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たとえばボクらは“うまくいっている人”をみると悪口を思ってみたりする。
「だけど人相が悪い」「出る杭は打たれる」「いずれコケるに決まってる」
過去をあげつらったりなんかもしてね。「あいつは昔万引きの常習犯だった」
しかも、これらの思考は一度で収まることはない。
そのうまくいっている人を見かける度に同じ思考を再び思い出して蒸し返す。
それを過去から現在に至るまで何度も飽きずに続けているわけだ。
これが「問題を再構成するために過去を振り返ります」ということ。
さらに、ここで“問題”と言っているのはこういう心の愚かさの問題。
「うまくいっている人に嫉妬している自分のオツムが明らかにおかしいのに、
その事実から目を背けるための言い訳を繰り返しているという愚かさ」
そうした言い訳にまつわる“思い入れ”が愚かさの原因と指摘してるのね。
−私たちが過去を振り返って問題を再び思い起こすのは、
その問題が重要だという思い入れがあるからです。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』-P.271「43 問題よりも平安を選ぶ」)
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この“思い入れ”は偏見、迷信、妄想、詭弁などの独断的ないし理念的信条。
「ああいう面(つら)したやつは晩年コケると決まってるんだ」
「どうせ運ばっかりで実力じゃないからさ。そんなことじゃあ認めらんねえな」
「金あるって言ったって親に家建ててもらったお坊ちゃまだからなあ」
これらは何度も言い訳しているうちに個性化してしまった“思い入れ”なので、
かなりやっかいで手に負えなくなっている。
それは未解決の心の問題を後生大事に抱え込んでいることなので、こうした
“思い入れ”をやめないかぎり思わしくない結果につながる原因は消えない。
こうした思考習慣によって業(カルマ)の解消を先延ばしにしているから、
人間の魂は肉体を持って生まれ変わるとカルマの法則では説明してるよね。
これはいわば「生まれ変わり」です。
つまり、同じ問題、同じ物語、同じ惨(みじ)めさを抱えて毎日生まれ変わる、
という選択肢を選んでいるようなものです。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』-P.271「43 問題よりも平安を選ぶ」)
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実はカルマを解消をする機会は毎日提示されていると言っているんだ。
だから自分の心にある嫉妬心を認めようとしない己れの愚かさに気づいて、
“思い入れ”の繰り返しをやめる決意をしたときに解決策は見えてくる。
たとえば、その瞬間にこんなフレーズを思いつくかもしれない。
嫉妬するようなものは、結局、自分の手にあまる。
(布施仁悟)
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つまり、心の中の反応を間違ってきたことを素直に認められたときから、
もはや“思い入れ”を繰り返す必要もないという選択肢も生まれるわけだ。
すると、うまくいっている人がどうなろうと大した問題ではなくなる。
つまり、自分のなかで「すでに終わったこと」になる。
たとえ、うまくいっている人が目の前でどんどん成功していっても、
以前のような独断的ないし理念的信条は脳裏に浮かびあがってこなくなる。
それが自分の選択であることにいったん気づけば、
問題を生かしておくためには何が必要かに気づくこともできます。
問題を重要なもののままにしておくためには、
「終わったこと」に時間、努力、エネルギーを費やす必要があるのです。
(ガンガジ『ポケットの中のダイヤモンド』-P.271「43 問題よりも平安を選ぶ」)
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ただし“思い入れ”をやめる決意をしなければ徒労はいつまでも続くというわけ。
誰でも29歳になるとそれまでの価値観は通用しなくなるものでね。
そのときに生じる切実さが真剣な決意を促すはずなんだけれど、
人を環境の奴隷にするような社会の仕組みに潰されちゃうんだなこれが。
社会保障や補助金受給者にありがちな“たかり根性”。
公務員やサラリーマンの“サラリー中毒”。にわか成金の“拝金主義”。
凡人の造った社会の仕組みは実はカルト教団よりタチが悪いものなのよ。
もちろん悪い面ばかりでもないんだけど、そうすると、ほら、切実さがね、
足りなくなっちゃうから。真剣な決意なんてどうしたって生まれないの。
というわけなので、今、つらい状況にある人は意味あってそこにいるんだ。
その状況って実はポテンシャルの高い証拠だから絶対に潰れちゃダメだよ。
社会の仕組みに乗っかろうとした途端に潰れちゃうぜ。ボクはそう思うね。
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懺悔の本質
それで、もうわかってると思うけど、過去観というのは、だから、
心の中にある“思い入れ”を意識の表面に引っ張り出してくる作業。
そういう観点から過去のトラウマになっている出来事を思い出すといい。
たとえば、恋人にフラれた原因を自分の愚かさに求めるのではなく
相手に責任転嫁していたり、家族が自分の思い通りにならないことに
腹を立て相手がどうして愚かなのかという理由をいつまでもネチネチと
思い返していたり、友人に嫉妬して愚痴を吐いたりした自分をいつまでも
恥ずかしく思っては言い訳を繰り返したり、人生のうまくいかない理由を
神仏にあてこすりして神も仏もないと嘆いてみたり。
そうしている間は自分に嘘をついている。
自分に対して嘘をつくことをやめて自分の欠点と正直に対峙することは、
ほかでもない、自分を取り戻すことなんだ。
欠点とは誰にも評価されてこなかった自分の一部。
(布施仁悟)
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こうして自分自身も気づきたくないような、そして他人には無論、
知られたくないような心の中の思いを暴き出すと因果律は見えてくる。
この知識を手にした人間は、つづいて、自分のそれまでの無知と盲目をふり返りつつ、
自分のそれまでの人生がつねに正当な秩序によって形づくられてきたことに気づくことになります。
そのとき人間は、とても自然に、自分の過去の体験のすべてが、
たとえ良いものであれ悪いものであれ、
自分の進歩しつつある(しかし未熟な)自己を如実に投影するものにほかならなかった
ことを知るでしょう。
(ジェームズ・アレン『「原因」と「結果」の法則』-P.33「思いと環境」)
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そのうち気づいたら特別クラスにいる。ボクの知ってることはそれだけなんだ。
実にこれは懺悔(ざんげ)でもあるとボクは思う。
懺悔って言うと罪の裁きを受けるための告白みたいだけど、そうじゃなかった。
それがボクの発見。
ボクは昔から儀式が嫌いでさ。弟夫婦の結婚式に出ないで競馬に行ったんだ。
それ以来、弟夫婦とは折り合いが悪かったんだけど、
心の中のわだかまりを解いた頃に向こうから尋ねてきたんだよね。
わかるかな。
自分が傷つけてしまった誰かを目の前にして謝る必要もなければ、
自分を傷つけた誰かに謝ってもらうにも及ばない。
ただ自分と正直に向きあえば、それで十分事足りることなんだ。
地獄も天国も心の中に存在する。
(ドン・ミゲル・ルイス)
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罪の裁きは他ならぬ自分自身が他者や自分に対してやっているにすぎない。
だから誰にも罪のお仕着せをしない人には自分をゆるす権利だってある。
そう気づいたら“懺悔”はいつしか他者や自分への“ゆるし”になっていた。
本当の正義とは誰にも罪はないと知ること。
(布施仁悟)
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過去からどんなトラウマを抱えてきているのかは人それぞれだから、
その対処法は自分で見つけるしかない。でも心配なんかしなくていい。
不思議なことに真剣に決意をしたら答えはそこに見つかるものなんだ。
それでは特別クラスで会えることを楽しみにしているよ。
(2012.3)
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