大学時代の彼女と別れ話をしたとき、彼女はこんなことを語っていた。
「もっと叱ってほしかった」と。
あたかも、わがままを言ってボクを困らせたのは決して本心ではなかった、とでも言うかのように。
たしかに そこに至った経緯は、何らかの不可抗力がはたらいての已(や)むを得ずのことだったようにも思える。
いっそ、ボクが怒りをあらわにするくらい詰(なじ)ってくれたらよかったのに、彼女はそうはしなかった。
まるで、気ままなロックン・ローラーとしてトラベリン・バスに乗ろうとしていたボクの胸中を知っているかのように微笑んでいたのである。
おかげで、やるかたない思いがいつまでも残り、そのときのことを思い返すことがしばしばあった。
ようやく意味がわかってきたのは、41歳を超えて この歌を聴いたときだ。
Love is over 悲しいけれど
終わりにしよう きりがないから
Love is over わけなどないよ
ただ一つだけ あなたのため
Love is over 若いあやまちと
笑っていえる ときがくるから
Love is over 泣くな男だろう
私のことは 早く忘れて
(伊藤薫『ラヴ・イズ・オーヴァー』より)
これは伊藤薫が23-25歳の厄年の時分に創った作品で、この『ラヴ・イズ・オーヴァー』と同じ系統の別れの名曲は、決まって23-25歳くらいで生まれてくる。
求道者はこの時期に心の旅の準備をするのだけれど、そのとき、ひとつの愛が終わりを迎えるからだ。
たとえばこれは岡村孝子の『夢をあきらめないで』。
この時期の失恋をきっかけに創られた作品で、心の旅をはじめた男の心情を察した彼女がエールを送っている。
乾いた空に続く坂道
後ろ姿が小さくなる
優しい言葉さがせないまま
冷えたその手を振り続けた
いつかはみな旅立つ
それぞれの道を歩いてゆく
あなたの夢をあきらめないで
熱く生きる瞳が好きだわ
あなたが選ぶ すべてのものを
遠くにいて 信じている
(岡村孝子『夢をあきらめないで』より)
Love is over 悲しいけれど…心の旅をはじめた求道者にとってひとつの愛の終わりは避けられないものらしい。
しかしながら― over ―という単語には「終わり」以外にも「無限」「定義不可能」という意味だってあるだろう。
Love is over 私はアンタの
お守りでいい そっと心に
Love is over 最後にひとつ
自分をダマしちゃ いけないよ
お酒なんかでゴマかさないで
本当の自分をじっと見つめて
きっとアンタにお似合いの人がいる
(伊藤薫『ラヴ・イズ・オーヴァー』より)
こんなイカした女にふられたボクは幸せものである。
どうやら彼女はトラベリン・バスに乗って旅立とうとしていたボクを笑顔で送り出してくれていたみたいだ。
そんな風に考えると、世の中にはただひとつの愛があるだけで、それが姿かたちを変えて顕現しているにすぎないような気もしてくる。
まさしく愛は無限であり、定義不可能なのだ。
それは人間の理解をはるかに超えたものらしい。
そしてこれは財津和夫の『心の旅』の一節。
やはりこの時期に創られた別れの名曲だ。
いつもいつのときでも ボクは忘れはしない
愛に終わりがあって 心の旅がはじまる
(財津和夫『心の旅』より)
こうしてボクは求道者として心の旅路についた。
(2016.3)
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