このあたりのことを中島みゆきが『宙船(そらふね)』という歌に仕立てているのだけれど、この作品はほとんど真言(マントラ)みたいなものだから、この歌の収録されたアルバム『ララバイSINGER』を仏壇に飾って、毎日のおつとめのように歌うといいのではないだろうか。
その船は今どこに
ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで
ぼろぼろで進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
(中島みゆき『宙船』より)
27歳の運命のクロスロードにさしかかった時点では、ボクの相棒(バディ)たちも運命の試練に果敢に挑んでいた。
何処に向かっているかもわからずにふらふらと、アイデンティティを失う恐怖に精神を病みながらぼろぼろで。
大学時代の友人たちはとっくの昔に脱落していたから、相棒(バディ)たちはまだ勇気や根性を持ち合わせていたほうなのだろう。
そんな彼らも31-33歳の大厄を迎える頃には恐れをなして逃げ去っていった。
その船を漕いでゆけ
おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に
おまえのオールをまかせるな
(中島みゆき『宙船』より)
社会から与えられる存在証明―アイデンティティ―は、人の顔から表情を消し去ってしまう仮面―ペルソナ―にすぎない。
その仮面と同一化しすぎると人は顔無し― カオナシ ―になってしまう。
社会から自立して自分の顔に本来の面目を取り戻したければ、それまで自分の存在価値を証明する手助けとして与えられてきたものを突き返し、自身の手でオールを漕ぎはじめなければならない。
あなたは助けを必要としていない
|
実際あなたは助けを必要としていない。
事実、あなたに与えられたあらゆる種類の助けによって、あなたは損なわれてきた。
誰ひとり、あなたが自立することを許さなかった。
多大な助けがあなたの手に入った―あなたの母親、あなたの父親、あなたの教師、あなたの僧侶。
問題が生じてもいないのに、答えが、ありとあらゆる助けが、あなたにあてがわれた。
手を差しのべるこの社会、まわりを取り巻くこの助言者たち。
彼らはあなたに手を貸しつづけてきた―彼らは、あなたにそれが必要かどうかを気にかけない。
彼らは手を貸しつづける。
彼らは助けることに慢性的な強迫観念を持っている。
彼らは社会の奉仕者として知られている。
こういう人々はこの世でもっとも有害な人々だ。
彼らの害悪は、あなたには見ることができないほどのものだ。
彼らはあなたを助ける。
彼らはあなたによき忠告を与える。
彼らはあなたに品性や道徳、あれやこれを教える。
彼らはあなたの成長の可能性をすべて破壊する。
彼らはあなたを偽もの、まがいものにする。
彼らはあなたを造りものにする。
|
和尚『一休道歌 下』-P.323-234「第6話 永遠に生きる炎」
|
その船はみずからを
宙船と忘れているのか
その船は舞い上がる
その時を忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこが船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
(中島みゆき『宙船』より)
これは一つの賭けだ。
アイデンティティの喪失を怖れる自我はすぐにでも後戻りしようとする。
普通の男の子に戻りたいとおもう地点がいくつもある。
それでも勇気を振り絞ってどんな手助けもアテにせずにオールを漕ぎ続けなければならない。
造りものではない真実の生をのぞむなら勇気は絶対不可欠なのだ。
そうして、精神が分裂し、死を間近にみるほどの存在証明の危機―アイデンティティ・クライシス―を通り抜けた地平の果てに禅の正門があらわれる。
地平の果て 水平の果て
|
自我という現象―このために自然を失い、自然に背き、自然から離れてゆく。
やがてあなたは息苦しさを覚えはじめるほど遠くへ行ってしまう。
あなたの存在に分裂症が生じるほど遠くへ行ってしまう。
あなたの周辺は中心から離れてばらばらになりはじめる。
それが回心の地点、宗教が的を射たものとなる地点だ。
あなたが出口を探しはじめる地点。
あなたが「私は誰なのか?」と考えはじめる地点。
|
和尚『一休道歌 上』-P.210「第5話 天国を焼き払う」
|
そこに待っている内なる師の手中に落ちるとき。
まさに、そのときから本来の面目を取り戻す挑戦がはじまる。
その挑戦のなかで少しずつ自分の才能が浮上し舞いあがってゆくのをみることだろう。
内なる師の手中に落ちるとき
|
あなたがマスターの手に落ちるとき―助けはすべて撤回されねばならない。
あなたはいやでも成長せざるをえないような、生の挑戦を受けざるをえないような、深い孤独のなかに残されることになる。
そして、まさにその挑戦のなかで、エネルギーが動きはじめ、形をとりはじめ、統合される。
|
和尚『一休道歌 下』-P.324「第6話 永遠に生きる炎」
|
そしてこれは中島みゆき禅師からの贈り物だ。
内なる師が禅者を導く仕事道具は因果律。
そのため因果律を正しく看破できなければ進歩は望めない。
これらは、そのために必要な真言―マントラ―となっている。
1 何の試験の時間なんだ?
(中島みゆき『宙船』より)
課題を見失うと自分の立ち位置を見失い増上慢に陥って進歩が止まる。
いま課せられている運命の試練の課題は何か?
2 何を裁く秤なんだ?
(中島みゆき『宙船』より)
内なる師はあくまでも禅者の自我を叱責するために因果律を使う。
ものごとがうまく運ばないとき誰かに責任転嫁してはいないか?
3 何を狙ってつき合うんだ?
(中島みゆき『宙船』より)
目前にあらわれる人物は誰であろうと己れの自我を徹見するための機会を与えてくれる。
その人物との関係から学ぶべき課題は何か?
4 何が船を動かすんだ?
(中島みゆき『宙船』より)
自我から行為するときにのみ間違いが起こる。
では本来の面目から行為するにはどうしたらいいのか?
ボクも実際にこの四つの問いを駆使して因果律を学んできた。
ここの処方箋をこれほど明確に提示した禅師はかつて存在した例がないとおもう。
まさしく21世紀の真言―マントラ―といっても過言ではないだろう。
これらの問いを発することが習慣になるまで何度も繰り返していると、ある能力が目覚めてくるはずだ。
詩とマントラ
|
マントラは凝縮された詩だ。
それは本質的な詩だ。
ただ読むだけでは、それは理解できない。
知的に理解できないというのではない―それは単純だ。
その意味は明白だ。
しかし、外見上の意味は真の意味ではない。
外見上の意味は第一の言語から来るが、隠された意味は待たなければならない。
あなたは深い愛のなかで、深い祈りに満ちて、それをくり返さなければならない…。
と、ある時突然、それはあなたの意識から噴きだしてくる。
それはあなたの前に姿を現わす。
ある旋律(メロディー)が聞こえてくる。
その旋律(メロディー)こそがその意味だ―。
|
和尚『一休道歌 上』-P.21-22「第1話 その旋律が聞こえるとき…」
|
その旋律の聞こえるとき…第二の言語―バベル語―の扉が開かれる。
|