【坐禅作法129】老子『道徳経』
かなりキワどい坐禅作法 老子『道徳経』〜付録2〜
〜付録2:縁覚の経典2〜
よかったら使ってくれたまえ
禅は最強の宗教になるはずだった。
達磨が印度から中国に運んできた釈迦の教えと中国に土着していた老子の教え。
その二つが互いに欠けている部分を補いあって生まれたのが禅だった。
サンニャースの道を説いた釈迦とカルマ・ヨーガの道を説いた老子。
両者はそれぞれ止と観の達人だったのだから、歴代の禅師たちは二人の教えを統合して体系化するべきだったのだ。
ところが現代に至るまで誰もその仕事を為しえていない。
なぜなら歴代の禅師たちは37歳で禅定バカになって精神年齢を止めていたため、その先の教えである『道徳経』の意味を理解できなかったからである。
かくして禅は最強の宗教になるどころか、今日では禅定バカを生み出すための温床となり、最低の宗教に成りさがっている。
そこで老子『道徳経』の新訳を公開しよう。
これにより禅は最強の宗教の座を奪還する。
三徳の関連図(修正第三版)
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図:布施仁悟(著作権フリー)
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この老子『道徳経』の新訳で、まず最初に読んで欲しいのは第38章である。
― たしかに礼や義や仁を意識しながら歩むと、その道の上に花が咲きはじめるものだ。
けれどもその花は愚かさをまねく元ともなる。そこで大丈夫たるもの、いつまでも薄っぺらなことを続けるのではなく、どっしりと構えていこうではないか。
いちど咲いた徳の花を散らしたところでその実を収穫するといい。
花散らばこそ徳の実は成る。 ―
(布施仁悟訳 老子『道徳経』第38章)
『道徳経』というのは「道(TAO)の徳の教え」くらいの意味で、孔子の『論語』に説いてある礼や義や仁(JIN)の徳を修めた先にある教えという位置づけになっている。
現在までの通説によれば、老子の道の教えは孔子の儒の教えと対立する思想とされているのだけれど、決してそういうものではなく、両者は補完しあう関係にある。
したがって、老子の『道徳経』に入門する前に、まず孔子の『論語』によって仁の徳を身につけておかなければならない。
そうして『道徳経』を読むべき時節になったら、仁の徳を捨てて道の徳に切り換えていけばいいのだ。
『道徳経』は、精神年齢を止めずにまっすぐ生きていれば、だいたい39歳8月くらいになると意味が解ってくるテキストになっている。
それまでは孔子の『論語』を読んでおけばいい。
歴代の禅師たちのように、仁の徳を身につけることなく37歳になり、おまけに坐禅のやりすぎでオツムが逝ってしまったら、老子の『道徳経』なんか理解できるはずがない。
禅が最低の宗教になりさがったのはそのせいなのだ。
21世紀を生きる禅者諸君は、その点によくよく注意してもらいたい。
まずは仁(JIN)、それから道(TAO)である。
老子『道徳経』の新訳を世に問うことは禅の歴史はじまって以来の悲願であった。
ここに出来たてホヤホヤの新訳を届けよう。
よかったら使ってくれたまえ。
(2018.6)
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B5の紙に印刷できるPDFファイル
老子『道徳経』上篇 (626KB)[1-29ページ]をダウンロード
老子『道徳経』下篇 (627KB)[30-60ページ]をダウンロード
※PDFって何?という方は
こちらを参照
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